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2007/1/30


名越切通 Nagoe-kiridooshi Nagoe-kiridoshi

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 名越切通(なごえきりどおし)は、神奈川県鎌倉市と逗子市の間に存在する古の要路である。
 鎌倉にはいくつかの切通し(防衛の為の人工的要路)がある。名越切通は、中でも特に鎌倉七口と言われた切通しの一つであり、房総・六浦方面への要路であった。
 難路であったため、ナゴエの名がついたと言われている。
 鎌倉の土木遺構の代表とされる300mに渡って残る大切岸は、主に石切り場の跡で、この切通しにはとりわけ強固な防御施設が整えられていた。
 江戸時代以降、朝夷奈切通(あさいなきりどおし)に交通の中心が移ったため手を入れられる事が少なく、七切通の中で最もよく旧状を留めている切通しである。
 名越切通は、鎌倉時代の古道の雰囲気を今に残す、国指定の史跡である。
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朝夷奈切通 Asaina-kiridooshi Asaina-kiridoshi

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 朝夷奈切通(あさいなきりどおし)は、神奈川県鎌倉市十二所と横浜市金沢区の間にある古代の要路であり、国指定の史跡である。
 鎌倉にはいくつかの切通し(防衛の為の人工的要路)がある。朝夷奈切通は、鎌倉七口と言われた切通しの一つであり、鎌倉と金沢・六浦を結ぶ要路であった。
 仁治二(1241)年、執権北条泰時が自ら指揮し、朝比奈三郎義秀が一夜で切り開いたという伝説から、この名が付いた。
 作られた背景には、当時の北条氏と三浦氏との争いがある。北条氏が三浦半島を通らないで房総に出るためには、六浦港へ連絡する道が必要だったのである。
 朝夷奈切通は、往時の雰囲気を色濃く残しており、鎌倉時代の文化と生活を我々に伝えてくれる古道である。
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2007/1/17


倶利伽羅峠 源平供養塔 Kurikaratohge Genpeikuyohtoh Kurikara Pass Genpei Memorial

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 倶利伽羅峠は、富山県と石川県の県境にある峠。かの有名な源平合戦があり、「火牛の計」の作戦により平家が敗れたところである。源平砺波山合戦にまつわる史跡が多い倶利伽羅峠古戦場。源平供養塔もその史跡のひとつだ。
 寿永二(1183)年、源平合戦の際、源氏の軍勢は太鼓、ほら貝を用いて一斉にときの声を上げ、角に松明を付けられ猛り狂う五百頭の牛を平家軍に放った。京都からの長途の行軍に疲れまどろんでいた平家軍は、暗闇の中を慌てふためき、武具も整えられず右往左往するばかり。将兵は軍馬もろとも地獄谷へ駆けこみ落ちたという。これが後に「火牛の計」と名づけられ、源平盛衰記にも記されている。
 源平供養塔は、「倶利伽羅公園」から小矢部市側に歩いて数分の猿ケ馬場にある。側には八重桜があり、見ごろの5月には、あまたの魂をなぐさめるように辺りを淡い桜色に染め上げるという。
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2007/1/11


水の路 Mizu-no-michi Passages for Water

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 水の路と聞いて、「運河」や「水路」とかたずけてしまうのは、いかにも発想が乏しいと叱られる。
 水の路があったなら、それを見つけることができたなら、筆者は「水の導き」と考えるだろうか。
 重力のある地球上において、水は必ず高いところから、低いところへ動く。時としてその動きは、人々にとって魅力につながる。
 もし、高い山で生まれた水を考えるなら、あるところでは、「滝」という形で、その躍動感を見せてくれるだろうか。また、静かに動く大きな川となって、その透き通ったレンズから魚たちがはしゃぐ姿をみせてくれるはず。
 人は水の姿に導かれ、行き着くところは・・大海原。そこにはさまざまな生命の姿があり、おそらく我々も、一時(いっとき)はその中で生命をはぐんだ一生命体のはず。
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