NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/18


明王院 五重塔(国宝) Myouou-in Gojuu-no-tou 

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 広島県福山市の小高い丘の中腹にある明王院(みょうおういん)。急な石階段を上り切り、境内に足を踏み入れると、真正面に本堂が、そのすぐ左手に五重塔が現われる。いずれも国宝に指定されており、丹塗りの朱が目に鮮やかだ。本堂は大同二(807)年に、五重塔は正平(南朝)三/貞和(北朝)四(1348)年に建立されたと伝えられている。
 明王院五重塔は全国の国宝指定塔の中で5番目に古く、南北朝時代を代表する純和風の建築物で、すらりと伸びた立ち姿は実に美しい。初層内部は心柱を天井上に立てる特異な構造で、四天柱や周囲の壁板には極彩色の仏画や文様が程度良く残されている。天を突く青銅製の相輪は建築当初のもので、水煙は全体が火焔文で珍しい。
 高さ29・14m。外観は常時公開も、内部は非公開とされている。
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2008/1/8


天寧寺 三重塔 Tennaei-ji Sanjuu-no-tou 

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 尾道水道を見下ろす小高い山の斜面に、民家に囲まれて天寧寺(てんねいじ)がある。貞治六(1367)年に室町幕府第二代将軍足利義詮(あしかがよしあきら)の寄進で建立し、歴代の足利氏の庇護を受け大伽藍を誇っていたが、その後、大部分が焼失してしまった。
 本堂の裏手には三重塔があり、坂というよりは石段に近い路地を登って行く。嘉慶二(1388)年の建立で高さ25m、本瓦葺。一般的な三重塔に比べると上から押し潰されたように見え、全体的に太く違和感を覚える。これは、もともと五重塔だったものを、江戸時代初期に傷みが激しかった四層と五層を撤去し、三重塔に改築したからである。初層内部に四天柱と来迎壁を持つ。正式名称は「海雲塔(かいうんとう)」。
 寺は牡丹の名所としても知られ、近くには千光寺山ロープウェイが通る。
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2007/12/6


松崎町 厳島神社 Matsuzaki-chou Itsukushima-jinja Itsukushima Shrine in Matsuzaki

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 松崎町の厳島神社(まつざかちょうのいつくしまじんじゃ)は、静岡県賀茂郡松崎町江奈にある神社である。祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。
 松崎海岸の北側に突き出した、弁天島の別名がある巨鯛島にあり、大永五(1525)年頃に創建されたと伝わる。
 祀られている祭神は、七福神の一神で福徳の神の弁財天に擬せられており、「弁天さん」として親しまれている。
 神社は海岸から100段近く石段を上がった所に建っており、平成四(1992)年には、六〇年に一度の開扉が行われた。
 毎年四月三日には例祭が行われている。また、巨鯛島のウバメガシ群落は、町指定の天然記念物となっている。
 松崎町の厳島神社は、地域から篤く崇敬されている社である。
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2007/12/3


高知 青龍寺 Kouchi Shouryuu-ji 

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 四国霊場第36番札所である青龍寺(しょうりゅうじ)は、唐の国の青龍寺で修業された弘法大師が、師の恩に報いるため建立されたといわれる。
 寺名の由来は、はるか東の空に向かって独鈷(どっこ)を投げると、裏山の松の木に舞い降りた。そこでこの地にお寺を建て青龍寺と名づけ、山号を独鈷山と呼ぶようになった。
 本尊の波切不動明王(なみきりふどうみょうおう)は、大師が入唐の折、暴風雨に合い、風波を切って静めたとされる不動明王の像を刻んだとされるもので、現在でも海上安全の祈願をしてから出航する習わしが残されている。
 200段ほどの急な石段を上り詰めると、正面に本堂がある。左手は大師堂、右手には薬師堂と、横一直線に配置される伽藍配置(がらんはいち)という様式が取られており、唐の「青龍寺」と同様の様式が用いられている。
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2007/11/28


長命寺 三重塔 Choumei-ji Sanjuu-no-tou 

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 長命寺三重塔(ちょうめいじさんじゅうのとう)は滋賀県近江八幡市長命寺町に所在する塔である。
 開祖は聖徳太子と言われている。平安時代後期に源氏の武将で、その功績により近江国守護職となった佐々木定綱(ささきさだつな)が、本堂はじめ釈迦堂、薬師堂、護摩堂などの諸堂を建立した。しかし、織田信長の兵火によって建物は大方が炎上・焼失し、現存するものは大永年間から慶長年間(1521~1614)に再建されたものである。
 長命寺は高所に建てられているため、八〇八の急な石段を登り詰めなければならない。境内には長命寺本堂があり、その右手に桧皮葺きの屋根が重なり合った美しい三重塔がある。慶長ニ(1597)年に建てられたもので、塔の高さは24・4メートル。擬宝珠高欄を付した縁をめぐらし、三重塔の内部には四天柱、須弥壇があり、胎蔵界大日如来(たいぞうかいだいにちにょらい)が安置され、国の重要文化財に指定されている。
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2007/11/26


真照寺薬師堂 Shinshou-ji-yakushi-dou 

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 東京のあきる野市引田地区にある真照寺(しんしょうじ)。
 寛平三(891)年創建と伝えられる、あきる野きっての名刹である同寺本堂の右側に位置するのが薬師堂である。
 市指定の有形文化財である赤い山門をくぐり、本堂右へと続く参道を通って、幾本もの「南無引田薬師如来」と染め抜かれた赤い旗がはためく一五段の石段を登ると、薬師堂が鎮座している。
 僧、行基がこの地に来たとき、薬師如来を彫り上げて安置したといわれる大変由緒あるお堂で、都指定の重要有形文化財に指定されている。
 銅版葺きの宝形造に木造カヤ葺きの屋根が乗っており、室町時代の建築とされている。
 寺とは別に、お堂は「多摩新四国八十八ヶ所霊場」の第五八番札所にもなっている。また、眼病にご利益があるといわれており、お堂の前には「め」と裏返しの「め」の字が並んで書かれた絵馬がたくさん掛けられており、今もなお信仰が篤いことを物語っている。
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2007/11/5


観音寺と神恵院 Kanonji-to-Shinkeiin Jin’nein and Kannonji Temples

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 大宝三(703)年、日証上人が海上の船から流れてくる琴の音とともに八幡大明神のご神宣を受け、建設したのが琴弾八幡宮(ことひきはちまんぐう)であり、神恵院(じんねいん)は上人が八幡宮の別当院として創建したものである。
 後の大同年間(806~809)、弘法大師が本尊聖観世音菩薩をはじめ、諸像を安置し七堂伽藍を建立し観音寺と改め、四国霊場八八ケ所の第六八番目の霊場となった。
 その後、明治初年の廃仏毀釈よって琴弾八幡宮の本地仏は観音寺の西金堂に移されたため、観音寺は六九番目の霊場、神恵院は六八番目の霊場となり、四国霊場では唯一、一つの場所に二つの霊場が存在することとなった。
 神恵院は観音寺の境内より、更に奥の石段を登った先に建てられている。
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2007/10/17


青木村 日吉神社 Aoki-mura Hiyoshi-jinja Hiyoshi Shrine in Aoki Village

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 長野県小県郡青木村にある日吉神社(ひよしじんじゃ)は、伝承によると創建は南北朝時代とされている。
 本殿は五間社流造で、階段や脇障子のない見世棚造り。桟瓦葺(さんがわらぶき)を用いており、横に長いシルエットも特徴のひとつ。そして扉口は中央柱間に一つだけという、大変めずらしい型式である。
 平成二(1990)年に長野県の県宝に指定された。
 以前は、朱などの鮮やかな色彩で装飾が施されていたが、現在では素材の木そのものの色となっており、情緒ある静かな佇まいを見せている。
 真っ赤に塗られた鳥居から社地を通り、石段を上りきったところに建立されている社殿は、深森のなかに、まるでオブジェのように建っている。
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