NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/1/17


大津絵 Ootsu-e 

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 大津絵(おおつえ)は、滋賀県大津地方の代表的な郷土みやげ品で、伝統民画と呼ばれる。その大半は、強烈な人間風刺がテーマになっている。
 江戸時代初期、東海道近江国追分あたりの名もなき画工が軒を並べ、街道を往来する旅人らに、信仰の対象として仏画を描き売ったのが始まりという。時代の変遷と共に世俗画、風刺画、人物画、風俗画へと転じ、また教訓的な和歌を添えたものも登場するなど、そのモチーフは百種類以上にのぼる。
 江戸時代を通じて東海道大津宿の名物となった大津絵は、文化・文政期(1804~1829)には「大津絵十種」と呼ばれる代表的画題が確定し、そこから「大津絵節」が生まれ、全国へと伝播していった。
 シンプルでのびのびとした描線、どこかユーモラスで風刺のきいた絵柄、そして独特の鮮やかな彩色が見る者を惹き付ける。現在は、紙に描かれたもののほか、絵馬やひょうたん、皿や掛け軸などもある。人間風刺という普遍的なテーマゆえに、いつの時代も民衆の心を捉えて離さない。
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2007/9/13


峰仙寺 Housen-ji 

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 峰仙寺(ほうせんじ)は、宮城県の本吉町にある古刹である。
 その創建は正平九(1354)年と伝えられ、この地方を治めていた葛西氏の家臣であった米倉持村により開基。以後、代々の米倉家の菩提寺でもある。
 それだけの歴史を持つ故、寺宝として多くの古仏像や仏画が伝えられており、中でも絹本著色佛涅槃図(けんぽんちゃくしょくぶつねはんず)は、天文八(1539)年に京都から持ち込まれたものとされ、涅槃図が物語る歴史と芸術性の高さから宮城県指定の文化財となっている。
 その他にも一六善神像図や釈迦牟尼仏坐像(しゃかむにぶつざぞう)などが、県や町の文化財指定を受け、大切に保存されている。
 寺は寺宝だけでなく、その刹容も素晴らしく、高台に位置する境内からは本吉の町を一望できる。四季の草木に彩られた庭園は手が行き届いていて、本堂や鐘堂、山門などの建物とも見事な調和を見せ、折々の情景を楽しめる。
 歴史のロマンと風情にあふれる名刹での一時は、とても贅沢なものである。
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2007/8/22


清水寺 三重塔 Kiyomizu-dera Sanjuu-no-tou 

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 正式名は音羽山清水寺(きよみずでら)といい、宝亀九(778)年の開創。清水寺の宗派は北法相宗(きたほっそうしゅう)といい、単立の一寺一宗である。本尊の十一面千手観音は、国宝となっている本堂内々陣の厨子の中に秘仏として祀られているために、厨子前に本尊の姿を表したお前立ち仏像を安置している。
 清水寺にある三重塔は、日本最大級の三重塔で高さ三一メートル弱。平安初期の承和一四(847)年創建と伝えられる。現在の塔は古様式に則って寛永九(1632)年に再建され、重要文化財に指定されている。
 昭和六二(1987)年に解体修理をし、総丹塗りや桃山様式を示す各重横木の極彩色文様を復元した。一重内部に大日如来を祀り、天井や柱などが密教仏画や飛天・龍と各種文様らの極彩色で作られている。
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2007/8/20


明王院 Myouou-in 

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 明王院(みょうおういん)は広島県福山市のほぼ中央に位置する仏教寺院であり、前身は大同二(807)年、弘法大師の開基と伝承されている常福寺とされている。
 本堂は元応三(1321)年に建立された仏堂である。全体は和様を基調としているが、細部は大仏様(だいぶつよう)と禅宗様の要素が加味された、折衷様という建築手法が用いられている。この事から和唐折衷様式の初期の代表例とされている。
 五重塔は貞和四(1348)年に建立された純粋な和様建築で、全国の国宝塔の中でも5番目に古いとされている。内部の柱や壁面には極彩色の仏画や文様が美しい。
 本堂と五重塔は国宝、本尊の木造十一面観音菩薩立像は重要文化財に指定されている。
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2007/8/16


五徳山 水澤寺 Gotokusan Mizusawa-ji Gotokusan Mizusawa Kannon Temple

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 五徳山水澤寺は、群馬県渋川市伊香保町水沢にある天台宗の寺院である。坂東第十六番札所で、水澤観音とは、本尊の十一面千手観音菩薩の事である。
 1300年余昔、推古天皇・持統天皇の勅願により、高麗の恵観僧正によって開基され、国司高光中将によって創建されたと伝わる。
 寺の縁起によると、かつては金堂・講堂・常行堂・潅頂堂・経蔵・鐘楼・多宝塔・全山併せて仏像一千二百体を祀る古刹であった。
 元禄時代に建立された六角堂は、内部に回転する六地蔵尊を安置する全国でも珍しい二重塔である。
 2001年に建立された釈迦堂では、釈迦三尊像などの仏像や仏画の数々を拝観できる。
 五徳山水澤寺は、古来より水澤観音の名称で親しまれている、古刹である。
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2007/8/13


厳島神社 五重塔 Itsukushima-jinja Gojuu-no-tou 

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 厳島神社(いつくしまじんじゃ)は、広島県廿日市市の宮島にある神社である。祭神は、市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命。
 推古天皇元(593)年に、豪族・佐伯鞍職(さえきくらもと)によって創建された安芸国一宮で、日本全国に約500社ある厳島神社の総本社であり、江ノ島・竹生島とともに日本三弁天の一つとされている。
 五重塔(ごじゅうのとう)は、応永一四(1407)年に建立された、禅宗様式の唐様と和様の建築様式が美しく調和し、ひときわ目を引く高さ29.3mの塔である。国の重要文化財に指定されている。
 禅宗様式の特徴として、屋根軒先の反りが著しく、初層の内部は完全な唐様で、柱の上部には金襴巻きの装飾画があり、壁には極彩色の仏画が描かれている。
 厳島神社の五重塔は、和様と唐様が融合した、特徴ある歴史的建築物である。
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2007/6/4


禅源寺 五百羅漢図 Zengen-ji Gohyakurakan-zu The paintings of Gohyaku Rakan at Zengenji Temple

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 禅源寺(ぜんげんじ)は、北海道古平郡古平町浜町にある曹洞宗の寺である。
 安政五(1858)年、「勧請開山」祖山泰堂二代、大和尚によって開基された。松前町法源寺の末寺でもある。
 五百羅漢図(ごひゃくらかんず)は、禅源寺が所有する480枚に及ぶ油絵で、本堂にて保管されている。
 大正八(1919)年、種田富太郎は樺太漁場を切り上げての帰途、利尻沖の大時化で遭難し、2昼夜漂流の後に救助された。
 富太郎は日頃信仰している観音菩薩のおかげであると、五百羅漢の寄進を発願し、林竹次郎により製作され、約20年の歳月を要して完成し、寺に納められた。
 禅源寺の五百羅漢図は、仏像では傷みやすく、日本画では保存に困難と考えた末、珍しく洋画で描かれたという仏画である。
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2007/5/9


鳥取 豊乗寺 Tottori bujoji Bujoji Temple

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 豊乗寺(ぶじょうじ)は、鳥取県八頭郡智頭町にある高野山真言宗の密教寺院。
 創建は平安時代に遡る。嘉祥年間(845〜851年)、空海の徒弟である真雅が開基したと伝えられる。6つの僧坊を含む大伽藍を有していたが戦国時代に兵火により消失。現在の建物は、江戸時代中期以降の建立とされる。
 豊乗寺は、県内の大山寺、三徳山三仏寺と並ぶ密教の秘法伝授の寺だった。かつては国宝の平安仏画「絹本著色普賢(けんぽんちゃくしょくふけん)菩薩像」、国指定重要文化財の「絹本著色楊柳観音像」などが堂内に安置されていたが、現在は東京国立博物館に寄託している。
 境内には樹齢600年の巨木杉があり、県の天然記念物に指定されている。
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