NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/10/23


帆布竹刀袋 Hanpu-shinai-fukuro 

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 この帆布竹刀袋は、国産の8号帆布と天然皮革で創ったフリーサイズの2本入竹刀袋である。
 帆布は厚手の綿織物で、帆船の帆やテントなど、様々な用途で使用されている。張りがあり丈夫で、天然素材のため、風を良く通し中の物が蒸れない。
 使っているうちに柔らかくなり、馴染むと味が出てくるのが特徴で、時間が経つに連れて新品の時とは違った風合いになる。
 32や34など短い竹刀の場合、上部を折り曲げて固定する、小学生から大人まで使える竹刀袋で、素早く開閉できるマジックテープ式は便利であり、ファスナーをスッと開ければ誰でもスムーズに竹刀を取り出せる。
 鍔・鍔止めは上部ポケットに収納されており、背負い紐は長さを無段階調節できる。木刀の持ち運びにも便利な革ベルトと足元ポケット付。
 帆布竹刀袋は、丈夫で使うほどに味の出る、便利な竹刀袋である。
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2008/9/19


高野純一 Takano Junichi Junichi Takano

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 創業、天保元(1830)年の「白木屋中村伝兵衛商店」の七代目中村悟氏を支えて店長を務める。
 江戸の京橋を流れていた京橋川。
 高速道路となったその河岸は昔「竹河岸」といい一日5、6万本の竹が水揚げされ、あらゆる生活品の材料が集まる場所であった。
 白木屋は初代藤兵衛が竹とホウキモロコシを使って箒を作り始めて以来、ずっと変わらずこの地で「江戸箒」を作りつづけている。
 高野氏と箒とのきっかけは、配達のアルバイトであった。初めて触れた江戸箒の「用の美」そして職人高木清一氏の仕事。それに惚れ込み、今では店を担っていく重要な人材となっている。
 「箒」には、使い捨ての関係にはない時間の流れがある。職人は使う場面を追求して箒に軽さとコシと柔らかさを実現させ、使い手は家を清める道具として畳から外へと順に下ろしながら箒と相棒になっていく。人と道具との関係性が、職人から使い手に受け継がれ、育まれていくのだ。
 材料、技、人。作り手として人と道具の関係を次世代に繋ぐため、ひとつひとつ行動し続けている。
[→より詳しい記事を見たい方はこちら]
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2008/9/10


一夜嶽牛突大会 Ichigayadake-ushitsuki-taikai 

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 日本の闘牛は全国五地域でしか行われていない。そのひとつ、島根県隠岐の島町に伝わる闘牛は「牛突き(うしづき)」と呼ばれる。島では年に三回の本大会が開催されるが、その千秋楽を飾るのが毎年一〇月一三日の「一夜嶽(いちやだけ)牛突大会」である。隠岐闘牛独特の絢爛豪華な土俵入りが披露される。
 隠岐の牛突きは、承久(じょうきゅう)の乱に敗れ隠岐に流された後鳥羽(ごとば)上皇を、島民が慰めるために始めたのが起源とされ、七百年以上の歴史を持つ。隠岐では、子牛のときから角を内側へ矯正するなどして格闘専用に飼育される。また、牛に綱を付けて突かせるのが特徴で、上皇の御前で突かせたため、万一に備えて綱を付けた名残といわれている。
 勝敗を握る綱取り男の厳しいかけ声に、八百キロ~一トンもの巨体がぶつかり合う。鋭く削った角で突き合い、血を流しながらの勝負が数十分、時には一時間にも及ぶ。一方の牛が悲鳴を上げて逃げ出した瞬間に勝敗が決する。
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田代平湿原 Tashirotai-shitsugen 

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 田代平(たしろたい)湿原は青森市の東の外れ、八甲田山麓にある。もとは約二百万年前の火山活動で出現したカルデラ湖だったが、湖水堆積物とその後の八甲田火山の噴出物で埋めつくされた。現在は三つの木道が整備されているため歩きやすく、一時間ほどで周遊できる。
 一帯はさまざまな植物が群生し、湿原は市の天然記念物に指定されている。六月中旬にはレンゲツツジが朱橙色の花で夏の到来を告げ、六月下旬から七月上旬にかけてはニッコウキスゲが辺り一面を黄色に染める。ほかにもヒメシャクナゲ、ワタスゲ、ネバリノギラン、ウメバチソウといった高山植物が咲き誇り、ハイカーやトレッカーを楽しませている。酸ヶ湯方面に比べて人出は少なく、意外な穴場でもある。
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2008/9/9


登米薪能 Toyoma-takigi-nou 

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 毎年九月中旬、宮城県登米町の伝統芸能伝承館森舞台で、二三〇年の歴史を持つ登米薪能(とよまたきぎのう)が上演される。
 午後五時頃に火入りの儀が行われると、白砂の上にかがり火に囲まれた舞台が現れ、朗々とした格調高い演目がおよそ三時間上演される。薪の燃える音や香りが心地よく、日常生活とかけ離れた美しさに観客は魅了される。
 登米薪能は、伊達政宗が能を愛したことから、伊達一門である登米伊達家も能楽を公の儀式の式楽として取り入れたことにはじまった。その後武士の作法として伝承され、明治以降は地域住民に浸透し守られていく。登米薪能を現在まで伝承している登米謡曲会は明治四一(1908)年に発足、プロの域にまで届く高いレベルで伝統を守り続けている。
 宮城県無形民俗文化財に指定されており、チケットはすぐに売り切れとなる、人気の薪能だ。
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2008/8/25


内子町 立川神楽 Uchiko-cho Tachikawa-kagura 

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 内子町(うちこちょう)の立川神楽(たちかわかぐら)は、愛媛県喜多郡内子町中川の川中三島神社に伝わる伝統芸能である。
 川中三島神社は、和銅五(712)年、創建されたと伝えられ、享和二(1802)年、火事で炎上し、その後再建された。祭神は大山積命、高おかみ神で、喜多郡一宮とされる。
 立川神楽は、再建後、鎮火の神楽舞いを奉納するようになったことが起源と伝えられ、町の無形民族文化財に指定されている。
 出雲系の神楽で、保存会に伝わる神歌集をもとに、神様が降りてくる「舞の口」、盆を月と太陽に見立てた「盆の舞」など、17種類もの演目があり、1回の奉納に要する時間は5時間近くにも及ぶ。
 毎年春には、2月第1日曜~4月29日まで、内子町内外で約30回にも及ぶ奉納を行っている。
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