黒石城 Kuroishi-jo Kuroishi Castle
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1656年、弘前藩主津軽信義の弟信英が、兄の遺領のうち5千石を分知され、陣屋を築いたのが始まり。形式は平城だが、陣屋といっても立派な城郭である。別名烏城(うじょう)ともいう。
黒石津軽氏は、8代親足が1809年に宗藩より6千石を分与され、都合1万石で大名となり、それ以後藩体制が確立した。
明治4年廃藩置県により黒石陣屋は一般に解放され、居館(御殿)は津軽家から黒石町に寄贈され黒石小学校として使用された。現在は御幸公園となっている。
公園のほとんどは広場になっており、南部分に堀切をはさんで小さな郭が残っており往時を偲ばせている。
黒石津軽氏は、8代親足が1809年に宗藩より6千石を分与され、都合1万石で大名となり、それ以後藩体制が確立した。
明治4年廃藩置県により黒石陣屋は一般に解放され、居館(御殿)は津軽家から黒石町に寄贈され黒石小学校として使用された。現在は御幸公園となっている。
公園のほとんどは広場になっており、南部分に堀切をはさんで小さな郭が残っており往時を偲ばせている。
- 住所
- 036-0389 青森県黒石市境松2-52
- 名前
- 黒石城