小峰城 Komine-jyou
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盛岡城、会津若松城とともに東北三名城に挙げられる白河小峰城は、源頼朝が奥州・藤原氏を滅ぼした時に従軍した結城朝光を祖先とする結城親朝が1340年、小峰ヶ岡に築城したのが始まり。
戦国時代まで結城氏が領有し、江戸時代になり丹羽長重が初代藩主として入城。4年の歳月をかけ築城した。その後、七家(丹羽、榊原、本多、奥平松平、結城松平、久松松平、阿部)21人の藩主によって統治され、その中には飢饉の時に餓死者を出さなかった徳川吉宗の孫・松平定信もいる。最終的には1867年に二本松藩主の丹羽家が管理していたが、戊辰戦争において、白河藩は藩主がいないまま、新政府に対抗して奥羽列藩同盟に加入し抗戦。
1881年4月〜7月の約100日、新政府軍との熾烈な戦いが繰り広げられ、白河城は落城し焼失した。永らく石垣だけの状態が続いていたが、1991年に三重櫓という、実質的に天守の役割を果たす建物を正確に復元。1994年には、前御門も復元している。
戦国時代まで結城氏が領有し、江戸時代になり丹羽長重が初代藩主として入城。4年の歳月をかけ築城した。その後、七家(丹羽、榊原、本多、奥平松平、結城松平、久松松平、阿部)21人の藩主によって統治され、その中には飢饉の時に餓死者を出さなかった徳川吉宗の孫・松平定信もいる。最終的には1867年に二本松藩主の丹羽家が管理していたが、戊辰戦争において、白河藩は藩主がいないまま、新政府に対抗して奥羽列藩同盟に加入し抗戦。
1881年4月〜7月の約100日、新政府軍との熾烈な戦いが繰り広げられ、白河城は落城し焼失した。永らく石垣だけの状態が続いていたが、1991年に三重櫓という、実質的に天守の役割を果たす建物を正確に復元。1994年には、前御門も復元している。
- 住所
- 964-0074 福島県白河市郭内1番地
- 名前
- 小峰城