|
大分県豊後大野市、渡無瀬にある磨崖仏。
日羅による作とされるが鎌倉以前の特徴を有することから、平安時代の作とも言われる。
堂中央に結跏趺坐した不動明王(3・7メートル)を主尊とし、右に制咤迦(せいたか)童子(173センチ)、左に矜羯羅(こんがら)童子(170センチ)を脇侍とする。
わずかに朱の顔料が残る顔は温厚であり、両足の裏を見せて座る姿を持つ珍しい石仏。昭和九(1934)年、国の史跡に指定されている。
石仏の上方の岸壁には「龍傳山(りゅうでんざん)」の三大朱文と「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」の八大文字が刻まれ、厚い大師信仰が偲ばれる。
日羅による作とされるが鎌倉以前の特徴を有することから、平安時代の作とも言われる。
堂中央に結跏趺坐した不動明王(3・7メートル)を主尊とし、右に制咤迦(せいたか)童子(173センチ)、左に矜羯羅(こんがら)童子(170センチ)を脇侍とする。
わずかに朱の顔料が残る顔は温厚であり、両足の裏を見せて座る姿を持つ珍しい石仏。昭和九(1934)年、国の史跡に指定されている。
石仏の上方の岸壁には「龍傳山(りゅうでんざん)」の三大朱文と「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」の八大文字が刻まれ、厚い大師信仰が偲ばれる。
[+ADDRESS] |