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2008/4/4


神明社 三番叟 Shinmeisha Sanba-sou The Sanbaso Dance at Shinmeisha Shrine

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 静岡県西伊豆町の中地区に鎮座する神明社(しんめいしゃ)。
 慶長五(1600)年に、現在の地に再建されたといわれる古社で、毎年一一月二日の夜と三日の朝の二回にわたって奉納されるのが三番叟(さんばそう)という人形浄瑠璃である。
 江戸時代から続いているという人形浄瑠璃による三番叟は、周辺地区に多く伝承されており、この神明社の三番叟もそうして伝えられたものの一つであるといわれている。
 およそ1mほどの大きさになる千歳、翁、三番叟の三体の人形は、一体に付き二人の地区の若衆によって操られ、元は能の演目である「翁」を歌舞伎化した物語を繰り広げる。
 そうした神への捧げものは自然に対する感謝と五穀豊穣、家内安全、天下泰平や疫病祓いの祈りが込められている。
 操者二人がそれぞれ違う部位を操るその動きは、まるで中に人が入っているような緻密な所作で物語を紡ぎ出す。
 神に捧げられるその舞は、見事なまでの美しさである。
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牛越神社例祭 人形三番叟 Ushikoshi-jinja-reisai Ningyou-sanba-sou The Sanbaso Dance at the Annual Festival of Ushikoshi Shrine

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 静岡県の西伊豆町宇久須にある牛越神社(うしこしじんじゃ)において、毎年一一月二日と三日の二日間に天下泰平や五穀豊穣、国土安泰を祈願して奉納されるのが人形三番叟(にんぎょうさんばそう)である。
 能の演目の一つである「翁」を歌舞伎化したのが三番叟であり、それを人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)として演じる。
 その起源はいくつかあり、この伊豆に流された京都の公卿により伝授されたとする説や、江戸初期の伊豆金山奉行、大久保長安に伝授されたとする説がある。ただ、天明年間(1781~1788)に集落の若衆により同神社に奉納された記録が残っているため、この頃にはすでに行われていたと見られている。
 千歳、翁、三番叟の各一体に役者が三人ずつ付き、太鼓や笛、拍子などの演奏に合わせて、それぞれの担当部位ごとに絶妙なバランス感覚で人形を操る。
 人形と操者が一体となった幽玄の世界が、そこにはある。
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2008/2/21


猩々緋色(ショウジョウヒイロ) Shoujouhi-iro 

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 猩々緋色(しょうじょうひいろ)は日本古来の伝統色のひとつで、極めて鮮やかな赤色のことである。染料の原材料はケルメスという昆虫であったが、その後ケルメスより更に色の強いコチニールカイガラムシが使われるようになったといわれている。
 「猩々」とはオランウータンの和名でもあるが、元々は中国の伝説上の動物を指すといわれている。猩々は猿に似た、酒を好む動物で、顔だけでなく体毛も赤いと言われている。日本では猩々が能の演目としても定着しており、歌舞伎や日本舞踊でも演じられている。猩々緋色はその猩々の鮮明な赤い色に由来している。
 戦国時代の武将に大変好まれた色といわれており、南蛮船で猩々緋色に染められた、羅紗(らしゃ)という毛織物が輸入されるようになると、裾の長い羽織物として好んで着用したといわれている。
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2008/2/12


柏木野神代神楽 Kashiwagino-jindai-kagura Kashiwagino Jindai Kagura

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 東京都西多摩郡檜原村柏木野地区に伝わる伝統芸能「柏木野神代神楽(かしわぎのじんだいかぐら)」は、鎮守南郷神社の秋祭りに、五穀豊穣、家内安全などの祈願のため、二年に一度奉納される。
 演じる役者達は舞台に先立ち、南秋川の水で六根清浄(ろっこんしょうじょう)を唱えながら、「みそぎ」の儀式を行うという。六根清浄とは、人間の持つ六感と意識を清らかにするという意味があり、「どっこいしょ」という掛け声の語源でもあるという。
 そして演目は舞台四方を固める「鬼の舞い」という子ども達の演技から始まる。
 悪人を熱湯に入れて改心させようとする「湯さぐり」、娘を大蛇に食い殺された老人から退治を託される「大蛇退治」など、一二曲の地方色豊かな演目が深夜まで続く。
 祭りには、鮮やかな衣裳と神楽面を身に着けた小中学生から大人までが参加し、古くから継承されている伝統芸能は今も受け継がれている。
 都の無形民俗文化財にも指定されている。
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下川乗獅子舞 Shimokawanori-shishi-mai 

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 東京都西多摩郡唯一の村である檜原村の、小さな集落、下川乗に古くから伝承されている、「下川乗獅子舞(しもかわのりししまい)」がある。毎年九月中旬に、村の鎮守である南郷神社(なんごうじんじゃ)に、五穀豊穣・家内安全の祈願と感謝の意を込めて奉納される舞である。村史に伝えられるところによると最初の奉納は文禄五(1596)年であったという、歴史ある伝統芸能である。
 祭り当日、まず南郷神社の神庭で奉納の舞が三匹獅子によって行われる。その後、旧家の庭でも舞が披露される。
 日が暮れて暗くなる頃には、自治会館の前の広場で獅子舞が次々と披露される。獅子頭と艶やかな花笠が、暗闇の中に鮮やかに浮かび上がる。
 演目は夜更けまで続き、最後は「太刀がかり」という演目で飾られる。これは二組の獅子と獅子の敵役である太刀引きとの、ぴったりと合った呼吸が要求される、真剣勝負の舞である。
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奥氷川神社獅子舞 Oku-hikawa-jinja-shishi-mai 

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 奥多摩町にある奥氷川神社は大宮市の氷川神社の奥社にあたる。この奥氷川神社において、八月中旬に行われる祭礼の中心行事が三匹獅子舞である。
 この地方には三匹獅子舞が多く古来より伝承されている。奥氷川神社の三匹獅子舞も二〇〇年以上の歴史を持つという。
 獅子達は花模様の、作務衣(さむえ)のような「かるさん」という衣装を着用する。大太夫、小太夫共に黒い獅子頭で、大太夫は金と黒のねじれ角、小太夫は赤と黒のねじれ角がある。女獅子は金色の頭に小さい一本角がある。
 三匹獅子に加え、ささらすり、唄方、笛方、囃子方、花笠達によって、「竿掛かり」「鞠掛かり」「女獅子隠し」「白刀」といった華やかな演目が、次々と演じられる。
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根元神社獅子舞 Nemoto-jinja-shishi-mai 

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 東京都西多摩郡奥多摩町の栃久保地区に長く伝わる、古式ゆかしい伝統芸能である根元神社獅子舞(ねもとじんじゃししまい)は、毎年八月に集落の鎮守・根元神社の祭礼に奉納される。
 この根元神社獅子舞は、当地方に多く伝えられる獅子舞同様、三匹獅子によって演じられる。金箔張りの獅子頭をつけた三匹獅子は、大太夫、小太夫、そして女獅子と呼ばれる。
 まず、神社の建物の周りを舞いながら右回りに七周する「宮詣り」から演じられる。演目は「三拍子」「摺り違い」「花懸り」と続き、最後の「白刀」まで炎天下の熱演が続くという。
 暮れなずむ集落に、懐かしいお囃子の音が響きわたる。
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2008/1/30


政岡まつり Masaoka-matsuri Masaoka Festival

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 歌舞伎の演目、伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)は、家を乗っ取ろうと企む一派から、わが子を犠牲にしても幼い主君を守り伊達家を救った乳母・政岡を描いた物語で、伊達藩のお家騒動を基に作られている。
 政岡のモデルは伊達四代藩主・網村を育て上げた白河義実(しらかわよしざね)の室。夫人のお墓がある宮城県の龍雲寺(りゅううんじ)では、毎年四月に白河家の子孫らが出席し、冥福を祈る墓前祭が営まれ、八つ鹿踊りが奉納される。その後一迫真坂地区の商店街で、約500人ほどが参加する政岡まつりが開催される。
 町内を練り歩く甲冑姿の武者や山車、鼓笛隊、八ッ鹿踊りのパレードなど、彼女が生きた世界を再現した、練りの数々を堪能できる、春を彩る祭りだ。
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