NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/1/25


倉敷 Kurashiki Kurashiki

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 倉敷は、街並み・歴史・自然など、様々な観点から見ても県内随一の観光スポットである。
 昭和54年に伝統的建造物保存地区に指定された「倉敷美観地区」は、江戸時代の天領の名残りをあちこちにとどめた、風情あふれる白壁の町。白壁と黒い本瓦葺の調和のとれた家並み、なまこ壁、格子窓の倉屋敷、柳並木の堀割が日本の伝統的な町並みを伝え落ち着いた雰囲気を醸し出している。周辺には、大原美術館をはじめ、数々の文化スポットが点在。倉敷民藝館や倉敷考古館など美しい建物がしっとりと佇む。
 一方、かつて吉備王国として栄え、数々の史跡や古墳が残るのが吉備路。鬼城山の伝説から桃太郎発祥の地としても有名。吉備津神社などゆかりの史跡も楽しめる。
 また倉敷は美しい瀬戸内海を背景とした景勝地としても素晴しい。鷲羽山の山頂からは、波静かな海上に点在する島々と雄大な瀬戸大橋の姿を存分に楽しむことができる。
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2007/1/23


御城番屋敷 Oshiroban-yashiki House for Castle Guards

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 御城番屋敷とは、三重県の松阪市殿町の、かつて紀州藩藩士が住んでいた組屋敷の事である。
 文久三(1863)年に建築された屋敷は、松阪御城番40石取りの紀州藩士20人と、その家族が住んでいた。主屋2棟・前庭・畑・南竜神社・土蔵よりなり、周囲には槇垣(まきがき)が巡る。
 主屋2棟は重要文化財、土蔵は県指定文化財(建造物)である。
 屋敷は今も子孫が維持管理し、実際に住んでいる。全国的に現存例の少ない武士の組屋敷であり、小路を挟んで2棟からなる構成も他に例を見ない。
 なお、松阪市は1戸分を借用して復元整備した上、1990年より一般公開している。
 ここは槙垣と石畳をはさんで静かに息づく歴史空間であり、時代劇に出てくるような長屋は、江戸の風情を今に伝える貴重な財産であると言える。
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2007/1/19


三十間長屋 Sanjikken-nagaya The Sanjikken-Nagaya (30-Ken Warehouse)

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 金沢城に残る蔵の跡。本丸跡の付近にある。長さ三六・五間、幅三間の二階建ての土蔵。元々は軍備のための蔵。干米などの貯蔵のために使われたといわれているが、後には鉄砲倉とも呼ばれたという。
 南面入母屋造りで鉛瓦葺きの屋根を持ち、白壁の腰には海鼠瓦で装飾が施されている。二階の腰には、鉛瓦葺きの庇がある。
 金沢城には、現存する三十間長屋を含め、全部で十四の長屋があったといわれており、往時は壮観であったことが想像できる。
 現存する三十間長屋は、安政五年(1858年)に再建されたものであり、現存する金沢城の遺構は、石川門とこれのみである。
 昭和三十二年に重要文化財に指定されている。
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2007/1/7


熊谷家住宅 Kumagaikejyuutaku Kumagaike Family Residence

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 島根県太田市大森町にある江戸後期の19世紀初頭に立てられた有力商人であった熊谷家の屋敷。当時は幕府の巡見使や大名家の役人の応接などにも用いられた。
 家屋の痛みが激しいため、平成13年12月より当時の姿に復元する工事が行なわれている。
 国の重要文化財に指定されており、町並み保存地区で最大規模を誇る豪商の邸宅である。
 敷地は1500?。木造2階建ての主屋は30の間がある。その広さは畳160畳分。米蔵、雑蔵など5つの土蔵も並ぶ。
 建築物としてすばらしいものがあり、内装は雲立湧文様を用いた襖、壁紙で夏には、葦戸(よしど)を開け放つと風が通り心地よい。熊谷家から太田市に寄附された家財は3300点。実際に使われていた生活の道具などが展示されており、古文書調査などを進め、当時の生活の様子を今も伝えている。
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