NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/12


猿掛城 Sarukake-jyou Sarukake Castle Ruins

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 猿掛城は、広島県安芸高田市吉田町にあった城である。
 明応年間(1492〜1501年)に毛利弘元が築いたという。
 この城は、毛利元就が少年から毛利本家を継ぐまでの青年期を過ごした城として有名である。
 関ケ原の合戦後、毛利氏が防長二州削封されるに及び、この城は天領となりやがて廃城となった。
 猿掛城は、小田郡矢掛町と倉敷市真備町との境にあり、菩提寺は矢掛町横谷の洞松寺である。
 西国へ往来する者達を一目瞭然に監視できる場所にあり、小田川を挟むように山がそびえ立ち、街道の重要拠点であった。
 現在、城跡は吉田盆地の北西方にあり、多治比川沿いの小さな谷に突き出した山の尾根上に、縄張りをめぐらせてある。
 猿掛城は、毛利家に縁の深い、戦国を戦い抜いた城郭である。
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2007/1/25


倉敷 Kurashiki Kurashiki

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 倉敷は、街並み・歴史・自然など、様々な観点から見ても県内随一の観光スポットである。
 昭和54年に伝統的建造物保存地区に指定された「倉敷美観地区」は、江戸時代の天領の名残りをあちこちにとどめた、風情あふれる白壁の町。白壁と黒い本瓦葺の調和のとれた家並み、なまこ壁、格子窓の倉屋敷、柳並木の堀割が日本の伝統的な町並みを伝え落ち着いた雰囲気を醸し出している。周辺には、大原美術館をはじめ、数々の文化スポットが点在。倉敷民藝館や倉敷考古館など美しい建物がしっとりと佇む。
 一方、かつて吉備王国として栄え、数々の史跡や古墳が残るのが吉備路。鬼城山の伝説から桃太郎発祥の地としても有名。吉備津神社などゆかりの史跡も楽しめる。
 また倉敷は美しい瀬戸内海を背景とした景勝地としても素晴しい。鷲羽山の山頂からは、波静かな海上に点在する島々と雄大な瀬戸大橋の姿を存分に楽しむことができる。
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備中国分寺 Bicchu-kokubun-ji Bicchu Kokubunji Temple

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 国指定史跡、「備中国分寺」。岡山県総社市に所在する。
 備中国分寺は奈良時代に聖武天皇の勅願により創建された官寺。建物は南北朝時代に焼失したと伝えられ、現在の建物は江戸時代中期以降に再建された。現存する伽藍はすべて再建後に建てられたものである。
 境内にそびえる五重の塔は、岡山県唯一のもので、吉備路の代表的な景観となっている。国の重要文化財にも指定されているという。この塔は江戸時代後期の文政四(1821)年から20数年をかけて建立された。その重厚美を帯びた存在感は、かつて吉備の国の中心として栄えたこの地の繁栄ぶりを映しているかのようだ。
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鬼の城 Ki-no-jo Ki jo Castle

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 「鬼の城」は、標高400メートルの鬼城山山頂付近に築かれた古代朝鮮式山城。岡山県の現総社市に位置する。
 文献「鬼ノ城縁起」によると、おとぎ話「桃太郎」の鬼の源流とされる温羅(うら)が住んでいたところとされ、桃太郎伝説ルーツかと推測される。
 「温羅は百済の王子で、吉備国にやって来てこの地に居を構え、しばしば西国から都へ送る物資を奪ったり婦女子を略奪したので、人々は恐れおののいて「鬼ノ城」と呼び、都へ行ってその暴状を訴えた」。これが一般に温羅伝承と呼ばれる逸話であり、地名の由来でもある。
 城の石積の城壁や土塁の長さは約2.8キロメートル、城内は30ヘクタールにもおよぶ広大な山城である。ハイキングコースとして最適で、眺めも最高、眼下に吉備の国の中心が一望できるという。
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弥高山 Yataka-yama Mt Yataka

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 弥高山(やたかやま)は、「岡山県百名山」にも選ばれている標高654メートルの山。岡山県の中西部、広島県境近くの川上町にある。
 弥高い(いやたかい)という意味から名づけられたこの山の山頂からは360度の展望が開け、四季折々の吉備高原の山々や瀬戸の島々、そしてはるか四国までも眺望できる大パノラマを楽しめる。
 春には新緑にツツジが映え、夏にはアジサイ、秋には紅葉と、四季折々の自然を楽しめるのも魅力だ。秋から冬の早朝には、山頂から一面に雲が広がって海のように見える「雲海」が見えることもある。
 キャンプ場やバンガローを完備しており、初級者向けの登山として、多くの人々に親しまれている。
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2007/1/24


造山古墳 Tsukuriyama-kofun Tsukuriyama Burial Mound

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 造山古墳(つくりやまこふん)群は巨大前方後円墳、造山古墳と、その西側一帯に築かれた6基の中小規模の古墳とで構成される。岡山県下で第1位、全国でも第4位の規模(全長350メートル、後円部径200メートル、高さ24メートル、前方部幅215メートル)を誇り、国指定史跡にも指定されている。
 築造時期は5世紀後半と推定されており、墳丘規模・外表施設などの様子からみて、被葬者は5世紀前半の吉備を支配した「王」の墓と言われている。6基の中小規模の古墳は、その王に仕えた近臣たちの墓(陪塚)とされている。
 造山古墳に次ぐ近隣の作山古墳(総社市)、両宮山古墳(山陽市)などの巨大古墳の存在から、古代吉備がヤマト王権に対抗しうる強力な王権があったとする見解もある。
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最上稲荷 Saijo-inari Saijo Inari Shrine

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 最上稲荷(さいじょういなり)は、日本三大稲荷のひとつで、祈祷の名刹。吉備平野を一望できる景勝の地、岡山県岡山市に所在する。
 最上稲荷は今から1200余年前、報恩大師によって開かれたという。戦国時代、豊臣秀吉の備中高松城水攻めの際、戦火により堂宇焼失の憂き目に合う。しかし、本尊の最上さまだけは八畳岩の下の元宮と呼ばれる場所に安置され。難を免れたという。
 以来、祈祷の名刹として霊験は遠くの地にも名高く、「不思議なご利益がある最上さま」と広く大衆の信仰を集めたとか。ご利益は「商売繁盛」「交通安全」「学力増進」など。  
 毎年3月には開運・発育健全を祈願して行われる初午祭が執り行われ、ご利益祈願を行う参詣者が今でも絶えない。
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