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2007/11/16


【清】 Sei Clean, Pure, Clear

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 清は氵(さんずい)と青をあわせた字で、篆文(てんぶん)ではじめてみられます。文字学では部首は必ずしもいつも概念を示すものではないのですが、これは部首が示すとおり、 本来も水の清さをいいます。その意味の根本は「青」にあり、そしてこの色は漢字成立当時の美意識を表しています。青の下部の要素は丹で、丹(硫黄を含む土石で顔料となった)を掘るための井戸(丹井)のなかに丹があることを意味します。青色の丹もその井戸から採取されました。上部の要素は生であり青々と生えている草をあらわします。
 漢字を作り出したのは中国古代王朝の殷の聖職者ですが、その後の周と違って殷の民族は沿岸民族または沿海に近い地域の民族です。現代でも船乗りは入れ墨をすることがありますが、特に沿海の民族には入れ墨、文身などが多く、それは当時の宗教観を表現するものでした。
 青は「聖なる色」として儀式で清めのためにつかわれていました。青銅器という呪器の青も偶然ではありません。青と合わせて朱も呪鎮の意味をこめて使われました。文身や祭器に飾られた色には悪霊を払う呪禁の力が宿っているとされていました。漢字の世界は呪術の世界でもあるのです。
 フォン・ゲーテやショーペンハウアーなどの色彩論でもあきらかにされていますが、聖なる色としての青・朱は強く視覚にうったえることは確かです。中でも、青は特に穏やかな、鎮めと清めの効果のある、呪鎮に最もふさわしい色と考えられました。
 
■ 清・篆文(てんぶん)
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2007/11/7


函館ハリストス正教会 Hakodate-harisutosu-seikyoukai 

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 函館ハリストス正教会は、北海道・函館西部のシンボル。日本で初めて建てられたギリシア正教会の聖堂である。
 江戸末期の安政五(1858)年に、キリスト教が禁止されていた日本で、初めてギリシア正教がロシアの司祭ニコライにより伝えられ、ロシア領事館付属の聖堂として建てられたのが始まり。日本のギリシア正教発祥の地となった。鐘の音から地元では「ガンガン寺」とも呼ばれ親しまれている。
 外観は、細長い三角屋根や、3つの小さなドームなどに見られるロシア風ビザンチン様式の建築が特徴的。漆喰塗仕上げの白壁と緑色の屋根の色の調和が美しい建物である。内部には、黄色と赤の唐草文様じゅうたんが敷きつめられ、正面壁面にはロシアから運んできた極彩色の絵が飾られている。
 この聖堂は、日本ハリストス正教会の発祥の地であり、意匠的にも優れているとして昭和五八(1983)年に国の重要文化財に指定された。
 
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2007/2/15


転法輪寺 Tenpourin-ji Tenporin Temple

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 奈良県、金剛生駒連山の最高峰、金剛山の山頂に位置する真言宗醍醐派の寺院。山号は金剛山。古くは一乗山転法輪寺とも呼ばれる。
 山岳宗教の聖地であり、天台宗、真言宗双方の修験の地。
 天智天皇四(666)年、役行者が開基。法起菩薩を刻み本尊として転法輪寺を建立し、一言主神を祀るために葛木神社を創建して神仏混合の霊山となった。
 古代、葛城山、高天山と呼ばれていた山名が金剛山となったのは転法輪寺の山号からとされる。
 境内、山中には福石、金剛牛王、夫婦杉などの多くの巨石、古木が並ぶ。
 山頂には泉南方面を望む展望台があり、天気の良い日は関西空港、淡路島までの遠望を見ることが出来る。
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2007/2/14


高天彦神社 Takamahiko-jinjya Takamahiko Shrine

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 高天彦神社は奈良県御所市、金剛山中腹に位置する古社である。
 祭神は高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)別名は高天彦神(たかまひこのかみ)、葛城氏の祖神とも言われ、神社裏にそびえる白雲峯(694メートル)が御神山として古くから祭られている。
 日本神話における天孫降臨の地である、高天原であるとの伝承が伝わる。
 急勾配の参道にはうっそうと茂った巨大な杉が立ち並び、いにしえの荘厳さを今に残している。
 参道下に立つ鶯宿梅(おうしゅくばい)は奈良時代、若くして亡くなった小僧を悲しんでいた師の前の梅の木に鶯が止まり、和歌を読んで鳴いたことからその名が付いたとされ、春先には見事な花を咲かせ、古道を彩る。
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2007/2/12


比叡山延暦寺 Hieizan-enryaku-ji 

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 比叡山に広大な寺域を持つ、天台宗の総本山。奈良時代末期、19歳の最澄(さいちょう)が、比叡山に登り草庵(そうあん)を結んだのが始まり。
 約1200年もの間、日本の宗教界最高の地位に君臨し、この比叡山からはのちに日本仏教をささえた傑僧を数多く輩出している。
 杉木立が深く生い茂っている比叡山中の境内は、天台宗修行道場としての威厳に満ちみちた雰囲気が漂う。
 現在は交通の便も良くなり、山上まで比較的簡単に参詣することが出来、もっとも便のよい東塔だけを拝観する人が多いが、さらに厳粛な空気が漂う西塔・横川の方へ、東海自然歩道を歩いて参詣するのも深い趣が味わえる。
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大分 清水寺 Ooita Shimizu-dera Oita Shimizudera Temple

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 宝陀寺に隣接する歴史の古い清水寺は、曹洞宗で、山号は補陀落山(ふだらくさん)。清水観音とも呼ばれる。 本尊の十一面千手観音は秘仏。九州西国三十三観音霊場第3番札所である。
 境内の一角にある岩山から湧出する清水は、大分県の「豊の国名水15選」に選ばれ、遠く平安の昔から水量に変化がなく、どんな大雨や干ばつの時でも、影響を受けた事がないといわれている。年間を通しての湧出量は変化せず、夏・冬とも変わらぬ清水が、今日でも周辺の田畑を潤している。この水は「不老長寿の水」として伝えられており、胃腸や糖尿病に特効があると言われる。見事なシイ林を背に、辺りを見回すと静かな段々畑が広がっているので、それを眺めているだけでも、寿命が延びるようだ。
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2007/2/6


銭洗弁財天 Zenuarai-benzaiten 

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 銭洗弁財天(銭洗弁財天宇賀福神社)は、神奈川県鎌倉市佐助にある神社である。祭神は、宇賀福神、水波売神。
 平安末期、鎌倉は災害が続き、貧困にあえぐ庶民のために源頼朝が祈願した。
 すると、巳年の文治元(1185)年の巳月、巳の日の巳刻、宇賀福神から「この福水で神仏を供養すれば天下泰平に治まる」という夢のお告げがあり、創建されたと伝えられている。
 この話が発展して、いつの頃からか、その霊水でお金を洗うと倍になると言う信仰が生まれた。
 鎌倉五名水の一つであり、巳の日の縁日には参拝者で賑わう。
 洞窟の口もとに社があり、社には宇賀福神が、洞窟の中の社には銭洗弁財天が祀られている。
 銭洗弁財天は、古い伝説に基づく信仰が今も生きる場所である。
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2007/1/29


お守り Omamori Omamori Amulets

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 神札(しんさつ)と呼ばれる神社が頒布する護符を袋に入れたもの。中身は御神璽(ごしんじ)と言う神社の御神体にあたる物が入れられている。
 願いを叶える、あるいは災難などから身を守るために身に付けるものであり、神札が家庭の守りであるのに対し、お守りは個人の福を願い身につけるものであるとされる。
 お守りは一年毎にその力を失うとされる。これはその年の祈願に対するお守りであるために、新しい年には新たな霊威を得ると言う神道の考えによるものであり、古いお守りは魂抜きのお払いをしてから焚き上げる。
 交通安全、安産、学業成就、縁結び、等種類は豊富であり、中にはペット用、IT用などの変わったものも存在する。
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