佐沼城 Sanuma-jyou Sanuma Castle
|
文治年間(1185〜1187年)の頃、藤原秀衡の重臣照井高直によって築かれ、奥州藤原氏滅亡後、源頼朝の家臣葛西氏の領有となったが、文明の末頃には大崎氏の家臣石川氏が拠った。
築城の際、鎮護のために鹿を生き埋めにしたことから「鹿ヶ城」とも呼ばれ、沼や川に囲まれた天然の要害「水城」である。
本丸跡は現在は鹿ヶ城公園となっており、かつては二の丸の南西側に鯛沼と呼ばれた沼が広がり外堀の役割を果たしていた。
また本丸跡の東側には迫川が流れ、自然の堀のようになっており、出雲神社・照日権現が建っていますが、社の近くには佐沼城の沿革を記した「佐沼城址碑」がある。
本丸の端の方にはこんもりと若干盛り上がった土塁跡が認められ、かつての佐沼城の面影を残している。
築城の際、鎮護のために鹿を生き埋めにしたことから「鹿ヶ城」とも呼ばれ、沼や川に囲まれた天然の要害「水城」である。
本丸跡は現在は鹿ヶ城公園となっており、かつては二の丸の南西側に鯛沼と呼ばれた沼が広がり外堀の役割を果たしていた。
また本丸跡の東側には迫川が流れ、自然の堀のようになっており、出雲神社・照日権現が建っていますが、社の近くには佐沼城の沿革を記した「佐沼城址碑」がある。
本丸の端の方にはこんもりと若干盛り上がった土塁跡が認められ、かつての佐沼城の面影を残している。
- 住所
- 987-0511宮城県登米市迫町佐沼33-1
- 名前
- 佐沼城