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人偏と言をあわせた字体で、この組みあわせでは古文に初めて登場します。
「言」はすでに甲骨文に見られます。「吉・哲・仁」の字説にもあるように、下の部分は口、祝詞を入れる器の意味です。その上の四つの横線の意味は、常用字体からはわかりにくいのですが、「清」の字説にある文身と刺青文化と関わりがあり、刺青を入れるための取手が付いている針の道具の形を表しています。したがって「言」はただの軽い言葉でなく、祝詞の器の上に針を置き、神への約束・誓願を守れない場合には刺青の罰を受けることを意味します。そこにはもともと神に逆らうという背景があり、人偏が加わると古代社会にあった体罰の一つであった刺青とも位置づけられます。
一般的な孔子像とは対照的に、白川静先生の説によると孔子は巫女の庶子でありました。神々の世界をあまり話題にしなかった孔子ですが、論語・顔淵第十二などにも基づいて、「信」は社会政治概念になっていきました。日本では古義学の元祖伊藤仁斎(1627-1705)が信の尊さを改めて指摘しました。また、政治に食・兵・信のうちどれが一番大事かと聞かれた孔子は「食が兵より大事だが、民からの信が絶対に欠かせない」という信条を唱えました。確かに、民や個人が信念のために断食することは宗教と政治の戦いによく見られます。
■ 信・篆文(てんぶん)
■ 言・甲骨文(こうこつぶん)
「言」はすでに甲骨文に見られます。「吉・哲・仁」の字説にもあるように、下の部分は口、祝詞を入れる器の意味です。その上の四つの横線の意味は、常用字体からはわかりにくいのですが、「清」の字説にある文身と刺青文化と関わりがあり、刺青を入れるための取手が付いている針の道具の形を表しています。したがって「言」はただの軽い言葉でなく、祝詞の器の上に針を置き、神への約束・誓願を守れない場合には刺青の罰を受けることを意味します。そこにはもともと神に逆らうという背景があり、人偏が加わると古代社会にあった体罰の一つであった刺青とも位置づけられます。
一般的な孔子像とは対照的に、白川静先生の説によると孔子は巫女の庶子でありました。神々の世界をあまり話題にしなかった孔子ですが、論語・顔淵第十二などにも基づいて、「信」は社会政治概念になっていきました。日本では古義学の元祖伊藤仁斎(1627-1705)が信の尊さを改めて指摘しました。また、政治に食・兵・信のうちどれが一番大事かと聞かれた孔子は「食が兵より大事だが、民からの信が絶対に欠かせない」という信条を唱えました。確かに、民や個人が信念のために断食することは宗教と政治の戦いによく見られます。
■ 信・篆文(てんぶん)
■ 言・甲骨文(こうこつぶん)
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