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2008/4/7


はんだ山車まつり Handa-dashi-matsuri Handa Dashi (Float) Festival

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 知多半島の付根にある愛知県半田市は、江戸時代から海運で栄え、今も運河と現役の蔵が残る町である。毎年春の3月下旬から5月3日・4日にかけて、市内各地で二百年の伝統を持つ山車祭りが行われるが、それらの山車が5年に1度、10月に一同に集結する勇壮な祭りイベントが「はんだ山車まつり」である。
 第1回はんだ山車まつりが行われたのは、昭和五四(1979)年の5月で、この時初めて、市内10地区31台の山車が勢揃いした。その後、市制50周年を記念した第2回の昭和六二(1987)年以降、5年おきの10月に開催されるようになった。
 「はんだびと」誇りである趣向を凝らし豪奢な彫刻や幕などで装飾された山車が、勇壮な曳き回しの後に一堂に会す様子はまさに圧巻で、見るものを魅了してやまない。
 他にも、民俗芸能披露・市民パレード・物産市など、総合的イベントとしても見応えがある。秋空の元、半田市内が祭りの熱狂に包まれる2日間である。
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2008/4/4


愛知 洞雲院 Aichi Touun-in 

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 洞雲院(とううんいん)は、知多半島の阿久比町(あぐいちょう)にあり、徳川家康の生母である於大の方(おだいのかた)の遺髪墓があることで知られる。
 平安時代の天暦二(948)年に、菅原道真の孫である雅規(まさのり)が開基となり、洞雲院の前身である天台宗の久松寺を創建。その後、子孫の久松定規が再建したと言われる。久松家は「於大の方」の再婚先であり、近くには久松氏の居城だった阿久比城址がある。
 毎年三月一六日、洞雲院では「おせんぼ」と呼ばれる観音懺摩法会(かんのんせんまほうえ)が行われる。「おせんぼ」は、於大の方が「戦国の女性の哀しみが二度とおきないように」と、洞雲院で女性の幸福将来を祈願したのが始まりと言われている。
 
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2008/3/7


知多 平泉寺 Chita Heisen-ji 

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 知多半島の阿久比町にあるのが、知多四国霊場一六番である平泉寺(へいせんじ)である。天長七(830)年、淳和天皇の勅願により慈覚大師円仁が創建したと伝えられる。
 本尊は不動明王で、尾張不動尊として信仰を集めている。不動明王立像と毘沙門天立像は中心一木造り彫眼の像で、県指定文化財に指定されている。また、阿弥陀如来像は仁平三(1153)年の在銘仏で県下最古のものとなり、同じく県指定の文化財になっている。
 文治元(1190)年旧暦八月一五日に、源頼朝が野間の里(美浜町)にある父・義朝の墓参りのあと、尾張不動尊に国家安泰などを祈願したといわれる。
 そして墓参りの帰り道、中秋の名月が美しかったので、坊内を大乗坊から円月坊と呼ぶよう命じたと伝えられている。
 

 
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2008/2/18


神前神社 Kamisaki-jinja 

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 知多半島のほぼ中央に位置する半田市亀崎(かめざき)。その地の氏神である神武天皇が祀られているのが「神前(かみさき)神社」である。
 神武天皇が伊勢路から亀崎を訪れたという伝説により「亀崎神社」と呼ばれたが、その後「神前神社」に改称されたといわれる。
 伊勢湾に向かって建てられている社殿は、海からもはっきりとその姿を見ることができる。その昔、神社の前を通る船は帆を下げたり帆綱に手をかけたりして、航行の安全を祈願したり敬意を表したりしたという。
 「春の山車祭り」の最後をしめくくる、「亀崎潮干祭(かめざきしおひまつり)」が奉納される神社としても有名である。また宮参りや虫封じなどにも多くの参拝者が訪れる。
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2007/12/21


大池古窯 Ooike-koyou Oike Old Kilns

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 大池古窯(おおいけこよう)は、半田市にある運動公園を整備中に発見されたものである。この窯は一二世紀中頃から一三世紀初頭に操業されたもので、山茶碗を中心に焼いた小ぶりの窯として使われてきたようだ。
 当時、知多半島の丘陵では何千もの窯が築かれていた。そこで大量に茶碗を焼いたため、焼き損じもたくさん捨てていたようだ。後の世の人が山を開墾したとき、茶碗がどっさり出てきたので「山から出てくる茶碗」を「山茶碗」と呼んだと伝えられる。しかし、この茶碗を焼いたり使用していた人々が山茶碗と呼んでいたという事はないようだ。
 大池古窯は様々なスポーツ施設がある大型運動公園の中で、いこいの場となっており、八基ある窯のうち三基をそのままの状態で保存している。
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2007/8/31


佐久島 Saku-shima 

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 佐久島(さくしま)は、愛知県の知多半島と渥美半島に囲まれた、波穏やかな三河湾のほぼ真ん中に位置する、三河湾で最も大きい島である。本土側の一色港からおよそ10キロメートルで、一色港から定期船で約20分の距離にある。
 今から2500万年前に海中で堆積した島で、人が住むようになったのは紀元前3000年頃。古墳時代後期の古墳や縄文・弥生式の土器片などが出土している。
 海を生活の場として地域の文化を橋渡ししていた海部(あまべ)族の営みが、海運業として受け継がれたため、江戸時代には繁栄した。
 島の80パーセント以上が里山で、至るところで原風景を見ることができる。冬でもめったに降雪がなく、年間平均気温は15~17度と温暖な気候である。
 
 
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2007/8/23


知多 岩屋寺 Chita Iwaya-ji 

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 知多半島の南部に岩屋寺(いわやじ)という寺がある。霊亀元(715)年に元正天皇の勅願により、行基菩薩を開祖として創建されたと言われる。
 もともとは天台宗の寺だったが、昭和二五(1950)年に独立して尾張高野山の総本山となった。知多三十三観音、知多新四国八十八個所の札所でも知られる。
 寺宝である大蔵経5463巻は、戦国時代に大野城主・佐治氏から寄進を受けたもの。原典は中国唐時代に玄奘(げんじょう)法師がインドから伝えたものである。欠本が少ない点で大変に貴重な資料となり、国の重要文化財に指定されている。
 奥の院は東の山中にあり、岩屋寺から300メートル進んだところにある。岩肌には清水が流れ、石窟の至る所に石仏があり、その数は数千体に及ぶ。奥の院に登ればそこはまさに霊場としての雰囲気が漂う。
 
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恋の水神社 Koi-no-mizu-jinja 

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 知多半島のほぼ中心にある美浜町に、縁結びの神様として知られている恋の水神社(こいのみずじんじゃ)がある。美都波能女之命(みずはのめのみこと)が祀られている。
 もともと延命長寿に効く神水とされていたが、悲恋物語によって縁結びに御利益があるといわれるようになった。
 平安時代末期に、桜町成範大納言の娘である桜姫が、恋人・青町の患う病に効く水があると聞き、桜姫はこの社を訪れたが、ついに水に辿りつけぬままに息絶えたという伝説がある。そのことから「恋の水神社」という名前が付けられた。
 境内の中心に、病気の中でも特に恋の病に効くといわれる「恋の水」が湧いている。紙コップに願い事を書き込み、そこに万病に効くという神水を半分ほど汲み、お供えするとご利益があるといわれている。
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