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2008/11/21


鶴岡八幡宮 流鏑馬 tsurugaoka-hachimangu-yabusame 

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 鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)は、神奈川県鎌倉市雪ノ下にある神社である。祭神は応神天皇(おうじんてんのう)、比売神(ひめがみ)、神功皇后(じんぐうこうごう)。
 康平六(1063)年、源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺に祀ったのが始まりで、鎌倉八幡宮とも呼ばれる。
 流鏑馬(やぶさめ)は、文治三(1187)年八月一五日に鶴岡八幡宮放生会に際し、源頼朝が流鏑馬を催行した事に始まるといわれる神事で、現在は鶴岡八幡宮にて毎年九月一六日に行われている。
 鎌倉武士の狩装束に身を包んだ射手が、馬で駆けながら馬場に配された3つの的を射抜く勇壮な行事で、弓馬術礼法小笠原教場宗家の協力により、鎌倉時代さながらに執り行われている。
 鶴岡八幡宮の流鏑馬は、800年間続いている伝統的神事である。
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2008/9/26


石清水八幡宮 Iwashimizu-hachimanguu 

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 石清水(いわしみず)八幡宮は、九州の宇佐神宮、関東の鶴岡八幡宮とともに全国でも代表的な八幡宮である。
 貞観元(859)年、奈良大安寺の僧・行教(ぎょうきょう)が、大分県にある宇佐八幡宮の分霊をこの地に祀ったのが始まりである。
 御祭神は応神(おうじん)天皇・神功(じんぐう)皇后・比咩大神(ひめおおかみ)の三柱で、この神々を総称して八幡三所大神と呼んでいる。
 当時、全国の武士は八幡三所大神を武の神、弓矢の神として崇めていた。このことから八幡三所大神を氏神として仰ぎ、全国に数多くの八幡宮を祀ったといわれる。
 楼門をくぐると、奥に舞殿、幣殿、本殿が建っている。これらの現存する建物は、寛永一一(1634)年、徳川三代将軍家光によって造営され、重要文化財に指定されている。
 本殿は桧皮葺きで、前後二棟で構成される「八幡造り」という建築様式である。本殿をはじめ建物には丹漆塗りが施されており、左甚五郎など当時の名匠による極彩色の彫刻が刻まれている。 
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2008/5/23


市谷亀岡八幡宮 Ichigaya-kameoka-hachimanguu 

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 市谷亀岡八幡宮(いちがやかめおかはちまんぐう)は、東京都新宿区の東端に位置する。
 寛延二(1479)年、江戸城を築城した太田道灌(おおたどうかん)が、江戸城の西の守護神として鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を勧請して創建した。
 鶴岡八幡宮の「鶴」に対して「亀」ということから亀岡八幡宮と命名されたという。
 文化元年(1804)に建造された珍しい銅製の鳥居は区指定文化財であり、江戸時代の鋳物師・西村和泉政平の作で、額束に記された八幡宮の「八」は鶴が二羽向かい合う姿をあらわしている。
 徳川家康の入府後、大きな援助を受けるようになり、歌川広重の「江戸名所百景」にも描かれるほどの名所となった。
 平成一二(2000)年からは、「動物は神の使いであり、人間と縁が深く尊まれるべきもの」として「ペットと一緒の初詣」が行われている。飼い主に連れられて手水(ちょうず)から始まり、おはらい、祝詞、玉串の奉納、お清めまで人間と同じ手順で行い、祈願後にお札が授与される。
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2007/11/20


八幡焼 Hachiman-yaki 

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 八幡焼(はちまんやき)は、島根県安来市広瀬町に伝わる工芸品である。県の伝統工芸品に指定されている。
 出雲の国広瀬は、その昔山陰の鎌倉といわれ、山陰山陽十一国を統治した尼子氏の月山富田城のあった山あいの郷である。
 享保八(1723)年、富田八幡宮神官・竹矢豊前と広瀬藩士・熊谷由武によって始められた。
 繊細な色あいの中にキラリと輝く鋭さを持ち合わせた青釉薬(あおゆうやく)を特色としており、青釉をほどこした食器や花器、茶器などが人々に広く愛用されている。
 呉須釉で「広瀬三万桶茶と茶漬」と謡われるぼてぼて茶用の茶碗なども知られており、釉薬と焼成の研究により木の葉天目、窯変などの作品にも力を入れている。
 最近は、伝統の茶陶のほか日用雑器なども焼かれている。
 八幡焼は、未だ日夜研究を続けられている伝統工芸品である。
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