|
戦国時代に豊後、豊前、筑後、筑前、肥後、肥前の九州六ヶ国を支配した豊後のキリシタン大名、大友宗麟の先祖、大友家初代能直の墓所。
落雷に打たれて半身不随になっても輿に乗り指揮を取り、宗麟の家中第一の武将とされた鎧岳(よろいだけ)城主、戸次鑑連 ( べっきあきつら)の菩提寺。
一時廃絶していたが宝永年間(1704〜1710)に本田善輝が再興、その後火災で炎上したが文化三(1806)年善輝の曽孫により修復し、存続される。
40種もの花菖蒲が植えられ、毎年5月には「常忠寺しょうぶ祭り」が行なわれる。夏の夜には蛍の観賞も出来る。
落雷に打たれて半身不随になっても輿に乗り指揮を取り、宗麟の家中第一の武将とされた鎧岳(よろいだけ)城主、戸次鑑連 ( べっきあきつら)の菩提寺。
一時廃絶していたが宝永年間(1704〜1710)に本田善輝が再興、その後火災で炎上したが文化三(1806)年善輝の曽孫により修復し、存続される。
40種もの花菖蒲が植えられ、毎年5月には「常忠寺しょうぶ祭り」が行なわれる。夏の夜には蛍の観賞も出来る。
[+ADDRESS] |