|
海岸寺(かいがんじ)は、長野県との県境に位置する山梨県北杜市にある臨済宗の名刹である。
養老元(717)年、行基が現在の地である津金山の南斜面に庵を構えたのが始まりとされる。
海抜約1000mに位置し、天候によっては眼下に雲海を見ることができることから海岸寺という名が付いたといわれている。
寛治年間(1087~1094)には新羅三郎義光が、京より玄観律師を同寺に迎え、国家鎮護の大道場として隆盛するも、天正一〇(1582)年の織田信長による甲斐侵攻の際、兵火によって堂宇の多くを焼失した。
現在の堂宇の多くは中興の祖である即應宗智和尚により、寛文六(1666)年に再建されたものである。
境内には江戸時代の石仏師が一〇年以上の歳月をかけて彫り上げた百体あまりの石仏があり、これを目当てに訪れる人も多い。
四季折々の風景と共に、様々な表情を見せる石仏をゆっくりと巡ってみるのも良いかもしれない。
養老元(717)年、行基が現在の地である津金山の南斜面に庵を構えたのが始まりとされる。
海抜約1000mに位置し、天候によっては眼下に雲海を見ることができることから海岸寺という名が付いたといわれている。
寛治年間(1087~1094)には新羅三郎義光が、京より玄観律師を同寺に迎え、国家鎮護の大道場として隆盛するも、天正一〇(1582)年の織田信長による甲斐侵攻の際、兵火によって堂宇の多くを焼失した。
現在の堂宇の多くは中興の祖である即應宗智和尚により、寛文六(1666)年に再建されたものである。
境内には江戸時代の石仏師が一〇年以上の歳月をかけて彫り上げた百体あまりの石仏があり、これを目当てに訪れる人も多い。
四季折々の風景と共に、様々な表情を見せる石仏をゆっくりと巡ってみるのも良いかもしれない。
[+ADDRESS] |