NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/21


煤竹色(ススダケイロ) Susudake-iro 

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 煤竹色(すすだけいろ)は日本に昔から伝わる伝統色のひとつで、文字通り煤けて赤黒くなった竹の色に似た、やや暗い黄褐色である。
 日本では昔、家の中で焚き木を燃やしてかまどで煮炊きなどをしたり、室内の囲炉裏で暖を取ったりして生活をしていた。家の中で火を燃やすことで煤が上がり、木製の建材は時と共に文字通り煤けて、色が変わっていくという。竹の種類にもよるが、燻されて、味のある渋い茶色に色づいた煤竹が生まれるとされる。
 煤竹色は江戸の初期から中期にかけて流行したといわれており、銀煤竹、藤煤竹、柳煤竹などたくさんの煤竹色が生まれたという。趣のある色のため、小袖や帷子、着物の地色としてもよく用いられている。
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2007/12/14


泰平寺 Taihei-ji 

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 鹿児島県薩摩川内市にある泰平寺(たいへいじ)は和銅元(708)年、元明天皇の勅願寺として天下泰平を祈願して創建された。当初から七堂と堀を備える大伽藍であった。
 戦国期には豊臣秀吉の九州平定時の本陣となり、秀吉と島津氏の和睦会の場となる。その際住持である宥印法印(ゆういんほういん)が和睦の斡旋に尽力したという。現在も宥印法印の墓石の横に記念の和睦石が残っている。 
 泰平寺を舞台とした民話「塩大黒」も残っている。この地方で塩が手に入らなかった頃、お坊さんが大黒天像に愚痴をこぼすと、大黒天像が本堂から消え甑島(こしきじま)から塩をどっさり持ってきたという話だ。
 寺は明治の廃仏毀釈にて取り壊され、大正時代に再建された。創建当初からの秘仏、薬師寺如来は行方不明となるが、大黒天像は難を逃れる事ができた。大黒天像は黒く煤けた木製の立像で、愛嬌のある柔和な笑みを浮かべている。
 平成二〇(2008)年は創建一三〇〇年にあたり、記念大法要が執行される。
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2007/4/25


伊藤明雄 Itou Akio 

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 三重県、鈴鹿市に伝わる伝統工芸品、鈴鹿墨の伝統工芸士。
 鈴鹿墨は伝統工芸品に指定されている唯一の墨である。
 墨は各種油を燃やした煤、にかわ、香料が原材料であり、これらを混ぜ合わせて墨玉と言われる塊を作り、木箱で形を整える。その後数ヶ月をかけて乾燥を行い、加工を施して完成する。
 墨玉の練りこみは、にかわが腐らない冬に行なわれ、厳しい冬の中で乾燥や硬さを調整しながらの力仕事であり、熟練の技術を要する。
 氏は中学卒業後から墨工の父に師事したが、必要以上のことは教わらず、体で経験を積み重ねたという。
 鮮やかな濃淡を作り出す墨は人気が高く、多くの書家に愛用されている。
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2007/2/28


ひたち竹人形 Hitachi-take-ningyou Hitachi Bamboo Dolls

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 水戸二代藩主、徳川光圀(水戸黄門)が竹の栽培を保護、奨励されたため、茨城県は昔から竹の産地として知られている。
 ひたち竹人形は、真竹や、孟宗竹、紋竹、黒竹、虎竹、煤竹、胡麻竹などの良質の竹を用い、手作りにて人形化したもの。
 油抜きしたさらし竹を2〜3年自然乾燥し、部品を作って竹釘などで組み立てる。色つけ、文様つけは、竹の表皮を削ったり表皮に彫りを入れて行う。
 人形の題材を能や歌舞伎にとり、精緻なつくりを見せているほか、ご当地ものの黄門人形や梅娘人形などもある。
 また、毎年干支に因んだ可愛らしい動物も作られている。
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