NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/21


江戸紫色(エドムラサキイロ) Edomurasaki-iro 

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 紫草(むらさき)は太い根に紫色の色素を持つ、ムラサキ科の多年草で、植物の名前がそのまま染色名に使われたとされている。
 約三〇〇年前、武蔵野でも紫草を栽培しようと、多摩郡松庵の杉田仙蔵(すぎたせんぞう)という豪農が、南部にて紫草の栽培や染色法を習得、栽培に成功した。その後井の頭池の水を遣い、鮮やかな紫根染め(しこんぞめ)を完成させた。それは後に「京染め」に対し「江戸染め」と呼ばれることとなる。
 古来より日本人に好まれ様々なものに使われてきた紫色だが、色調が地域によって分かれ、それを区別するために、京紫と江戸紫とに区別されるようになったといわれている。江戸紫色は、京紫色に比べて青みの強。
 江戸紫色は派手好みの江戸っ子に特に好まれ、爆発的に流行をとげ、江戸の「粋」の代表的な色として一世を風靡したと伝えられている。この人気により、近在の農家では栽培が盛んになり、三鷹・吉祥寺等の武蔵野一帯は紫草の名産地であったという。
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2007/11/8


東京無地染 Toukyou-mujizome 

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 東京無地染(とうきょうむじぞめ)は、古くから武蔵野国で生産されてきた染織物である。
 無地染とは、白い布地を一色の無地に染め上げる事で、古くは縄文時代から行われていた、染織物の中でも基本的なものだ。
 奈良時代になると、仏教の伝来と共に藍や紅花が渡来し、大きく発展を遂げ、鎌倉時代に入ると草木染や鉄媒染(てつばいせん)など技術も進展を遂げ、今につながっている。
 その中でも東京無地染は、武蔵野に自生した紫草の根から取れる染料を使用して染め上げたもののことを称し、江戸染めまたは江戸紫ともいわれていた。
 当時、上方きっての名歌舞伎役者であった市川団十郎演じる助六愛用の鉢巻ということもあり、庶民に大いにもてはやされることとなる。
 現在では東京都の伝統工芸品にも指定されており、古来よりの伝統を重んじながら、客の要望に沿って様々な色を生み出し、今も人々に愛される逸品を染め上げ続けている。
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2007/10/9


八王子 永林寺 Hachiouji Eirin-ji Eirinji Temple in Hachioji

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 八王子の永林寺(はちおうじのえいりんじ)は、東京都八王子市下柚木にある曹洞宗の寺である。本尊は、茶木尼(だきに)尊天。八王子八十八景のひとつに選ばれている。
 永林寺は大石定久の居館のあった場所で、定久が滝山城主として滝山城に移る天文元(1532)年、永鱗寺として創建した。
 その後、徳川家康が関東に入府した際、永鱗寺の林を誉めたことから永林寺に改称したとされる。
 伽藍は武蔵野屈指の大伽藍である。朱塗りの総門・楼門とあり、さらに朱雀門、そして本堂に庫裏がつながれてある。
 また、本堂裏手の高台には、大石氏の住居跡である由木城跡が存在している。
 八王子の永林寺は、壮麗な伽藍を誇る大石氏とゆかりの深い古刹である。
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2007/9/28


まいまいず井戸 Maimaizu-ido 

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 まいまいず井戸は、東京都羽村市にある五ノ神(ごのかみ)神社にある古い井戸である。
 まいまいずとは、多摩地方でのカタツムリの方言で、井戸の取水口が深く掘り下げられたすり鉢状の底にあり、その取水口までの斜面にカタツムリの殻のような、らせん状の道が設けられていることからその名で呼ばれている。
 大同年間(806~810)のものという話もあるが、その形態や周辺からの出土品などから見て、鎌倉時代の創建と推定されている。
 井戸周辺の地質は、柔らかい砂礫層に覆われており、当時の技術では垂直に掘るのが難しかったため、一端すり鉢上に掘り下げ、比較的硬い層になったところで、垂直に井戸を掘ったため、この形になったと思われている。
 同じような井戸は東京都と埼玉県の西部や武蔵野台地、伊豆七島の一部で見られるのみである。
 無論、井戸としての機能は立派に果たし、昭和三七(1962)年まで使用されていた。
 今は都の指定史跡となり、人と水とのつながりにおける歴史の一例として保護されている。
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2007/5/22


善福寺公園 Zenpukuji-kouen 

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 雑木林が豊かであった武蔵野の自然の面影を色濃く残す善福寺公園は、東京都立公園の一つで、広さは約78、622平方メートル、東京ドーム約2個分である。
 そのうち約半分の面積を善福寺池が占め、池は南北の上の池・下の池に別れている。前者は広く、ボート遊びもできる。南側の後者は葦やアカメ柳が生い茂っており、まさに武蔵野の風情だ。野鳥や草花も豊富で、都内では貴重な公園と言える。 
 ここから流れ出しているのが善福寺川で、中野区との境辺りで神田川に合流している。
 名前の由来は、かつて池のほとりに善福寺という寺があったからだとされているが、今はその寺はない。現在ある善福寺は、以前は福寿庵と言い、後に地名をとって改名されたということから、由来とは無関係である。
 近辺には雑木林を思わせる木々も多く、いい散歩コースとなっている。
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2007/4/16


埼玉 多福寺 Saitama Tafuku-ji Tafukuji Temple

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 埼玉の多福寺は、埼玉県入間郡三芳町にある臨済宗の寺である。本尊は、釈迦如来とされる。
 元禄7(1694)年、川越藩主柳沢吉保は、農地争いが続く三富の地で公平な検地などをして争いを収め、農民を入植させた。
 元禄9(1696)年、多福寺は農民達の菩提寺として上富村に創立、8月に江戸東北寺の洞天恵水大和尚を拝請して開山とした。同年、中富村に祈願所として毘沙門社も建立された。
 以後、長い間地元農民の精神的支柱となった。
 これまで2度の災火にあったが、仏像、経巻、什宝などは無事に保管され、明治16(1883)年に、本堂が再営されて現在に至る。
 多福寺は、武蔵野の雑木林に囲まれた、往時の面影がしのばれる寺院である。
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埼玉 平林寺 Saitama Heirin-ji Heirinji Temple

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 埼玉の平林寺は、埼玉県新座市野火止にある臨済宗妙心寺派の寺である。本尊は、釈迦牟尼佛とされる。
 永和元(1375)年、現在のさいたま市岩槻区に創建された。開山は石室善玖、開基は大田備州沙弥蘊沢である。
 寛文3(1663)年、川越藩主松平信綱の遺志をうけて、信綱の子である輝綱が菩提寺として野火止に移転した。
 当初は臨済宗建長寺派であったが、大徳寺派を経てから妙心寺派となった。
 境内を彩るモミジと昔のたたずまいを残した建物が美しく、春には桜が咲き誇る。寺周辺は武蔵野の面影を持つ雑木林として、1967年に国の天然記念物に指定されている。
 平林寺は、美しい景観と厳しい修行道場を持つ寺である。
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埼玉 高麗神社 Saitama Koma-jinja Koma Shrine

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 埼玉の高麗神社(こまじんじゃ)は、埼玉県日高市新堀にある神社である。祭神は、猿田彦命、竹内宿禰とされる。
 霊亀2(716)年、当地に移住した高句麗国の渡来人で、武蔵野開発に尽力した高麗郡司の高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)が高麗郡総鎮守として猿田彦命と竹内宿禰を祭祀し、白髭明神としたのが創祀といわれる。
 武蔵国内にある55社の白髭神社・白髭明神の総社である事から、高麗総社ともいわれる。
 敷地内には江戸時代に建てられた高麗家住宅等、多くの有形文化財を所持していることでも有名である。
 近年は、参拝後に総理大臣となった者が続出した事から、出世明神とも崇められている。
 高麗神社は、春には桜、秋には菊も美しい、古式ゆかしい神社である。
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