NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/22


もののふ(MONONOFU) mononofu Mononofu

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 サムライではなく、「もののふ(MONONOFU)」。自由で革新的な戦国時代の雰囲気を表現・発信する戦国ブランドである。
 現代アートの推進と伝統工芸の復権。そんな相反するかのように見える2つをさりげなく、しかし大胆に結びつけたのは歴史好きの一サラリーマン。
 国立博物館で変わり兜を見た田中秀樹氏は、これまで知らなかった世界を知り、圧倒されるとともに、その時興味を持っていたインディーズTシャツとのコラボレーションを考えたという。
 変わり兜が戦国武将の美意識であり、自己主張なら、様々なクリエイターが素材やデザインにこだわる現代のTシャツも自己表現の一つ。それならTシャツの中に変わり兜のデザインを取り入れていくことも可能である。また、もし現代に戦国武将たちがよみがえったら、自らの美意識で今の様々な素材やデザインを取り入れていくに違いない、とプロデューサーの田中氏は語る。
 現在、「天下『布』武プロジェクト」を推進中。
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2007/12/25


「タケフナイフビレッジ」キッチンナイフArtus Takefunaifubirejji Kicchin-naifu-Arutasu ARTUS Kitchen Knife by Takefu Knife Village

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 タケフナイフビレッジは、七百年の伝統を誇る刃物の一大産地「武生(たけふ)」で、地元の打刃物職人達が昭和五七(1982)年に作り上げたブランドだ。
 そのブランドから、地元出身のデザインディレクターである川崎和男の協力の下、昭和五八(1983)年に発表された包丁が「キッチンナイフArtus」である。
 刃部は従来の包丁を踏襲しつつ、その刃部からグリップまでを一体化させたシンプルなもので、衛生的で斬新な、デザイン性の高い商品となっている。
 また、武生に古来より伝わる「火造り鋳造」により、手作りで鍛造した鋼をステンレスで挟み込んだ三層構造を実現させ、切れ味と錆び難さを両立させている。
 ブランドが掲げる、手作りの良品を目指した七つのポリシーと武生の刃物造りの伝統、そして川崎和男による卓越したデザインが三位一体となって誕生したキッチンナイフであり、誕生から二〇年以上を経た今も、モデルチェンジをすることなく当時のデザインのまま、造り続けられている。
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2007/4/25


伊藤明雄 Itou Akio 

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 三重県、鈴鹿市に伝わる伝統工芸品、鈴鹿墨の伝統工芸士。
 鈴鹿墨は伝統工芸品に指定されている唯一の墨である。
 墨は各種油を燃やした煤、にかわ、香料が原材料であり、これらを混ぜ合わせて墨玉と言われる塊を作り、木箱で形を整える。その後数ヶ月をかけて乾燥を行い、加工を施して完成する。
 墨玉の練りこみは、にかわが腐らない冬に行なわれ、厳しい冬の中で乾燥や硬さを調整しながらの力仕事であり、熟練の技術を要する。
 氏は中学卒業後から墨工の父に師事したが、必要以上のことは教わらず、体で経験を積み重ねたという。
 鮮やかな濃淡を作り出す墨は人気が高く、多くの書家に愛用されている。
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新井久夫 Arai Hisao 

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 埼玉県岩槻市、東京都文京区、台東区に伝わる伝統工芸品「江戸木目込人形」の伝統工芸士。
 1996(平成八)年、当時最年少の38歳で伝統工芸士に認定。
 江戸木目込人形は別名を岩槻人形とも言われる人形細工であり、糊で固めた桐粉を胴体にして、襟や帯、衣装の折り目の部分に細い溝を掘り込み、布地を埋め込み作られる。
 衣装を木目込むことから木目込人形と呼ばれ、人形自体に衣装を合わせるため、一つ一つが異なることから職人の技量が現れる点が魅力である。
 氏は子供の頃から、職人であった父の職場で遊び、基礎を身に付けたという。伝統の技法を修めながらも、常に新たな工夫を取り入れてゆく作品は多くの人に愛されている。
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堀江祥山 Horie Syouzan 

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 1923(大正十二)年、生まれ。備前焼の伝統工芸士。
 37年、窯元興楽園で修行、64年独立。68年備前陶心会設立、83年に伝統工芸士に認定。
 備前陶心会初代会長。岡山県備前焼陶友会理事。日本伝統工芸展、日本陶芸展など多数入選。
 備前焼は千年の歴史を持ち、日本六古窯の一つに数えられる。釉薬を使わず、窯で焼く際の窯変により生み出される変化と素朴な味わいが古来より多くの人々に愛されてきた。
 氏は自身の手で作った登り窯で半年に一度、十日間にもおよぶ窯焚きを行なって、納得できる作品を模索する。
 今までもこれからも、素晴らしい作品を作り続ける職人である。
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2007/1/12


南川行男 Yukio Minamikawa Yukio Minamikawa

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 1929年、東京都墨田区生まれ。江戸押絵羽子板の伝統工芸士。
 1945年、父の手ほどきで羽子板の製造に従事するようになる。その後、羽子板の製造だけでなく、三月・五月節句品などの製造も自分で始めるようになった。
 毎年その時代を反映する人を写した似顔羽子板を作り、世の中に送り出している。
 12月17〜19日に行われる浅草羽子板市で買われる羽子板を中心に、三月、五月の節句人形も作っている。
 「楽しみにしていただいているお客様のためにも、喜ばれる羽子板をつくり続けていこうと思っています」とのこと。
 東京歳之市羽子板商組合長。東京都雛人形工業協同組合副理事長。東京菖蒲会会長 。
 1997年、葛飾区伝統工芸士に選定される。
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