NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/8


子供歌舞伎 Kodomo-Kabuki 

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 子供歌舞伎は、福井県三方郡美浜町早瀬にて行われる地方芸能である。
 安政三(1856)年、早瀬地区内に悪病(コレラ)が流行し、多くの村人が病にかかり、死亡者も数多く出た。そこで、宝光山瑞林寺の和尚の提案で、芸能として子供歌舞伎を演じて奉納したところ、病が鎮められたという。
 以来、毎年5月5日のこどもの日に、日吉神社ほか早瀬地区一帯で子供歌舞伎を行う風習が生まれたとされる。
 参道に据えられた山車の舞台で早瀬地区の小学4~5年生の男子が化粧して、色あでやかな衣裳をまとい、三味線や鼓に合わせて寿式三番叟を舞う。子供達が懸命に踊る姿がなんとも無邪気でほほえましい。
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水海の田楽能舞 Mizaumi-no-Dengaku-Nou-Mai 

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 水海の田楽能舞(みずうみのでんがくのうまい)は、福井県今立郡池田町水海の鵜甘(うかん)神社にて行われる伝統行事である。国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 建長二(1250)年、北条時頼がこの地を訪れ、雪深い池田に滞留して一冬を過ごす事となった。村人達は宴をひらき田楽を舞い、都を思い恋しくなる時頼を慰めると、喜んだ時頼がお礼に能を舞って村人達に教えた。その結果、田楽と能を合わせた珍しい田楽能舞が、この地に継がれる事となったと伝えられる。
 町内には色々な能面が残されており、小学校の授業で子供達が能面を作ったり、水海の田楽能舞の奉納を見学するなど、田楽能舞は人々の心に溶け込んでいる。
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水中綱引き Suichuu-Tsunahiki 

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 福井の水中綱引きは、福井県三方郡美浜町日向にて行われる、無病息災・豊漁を願う伝統行事である。国の無形民俗文化財に指定されている。
 真冬の1月第3日曜日に行われ、運河に飛び込んだ若い男達が、結ばれた大網を東西に分かれて引きちぎり、神に捧げるため切れた網を外海に流す。
 美浜町日向は、三方五湖のひとつ「日向湖」と若狭湾の間にある細長い町で、古くから漁師町として知られていた。その昔、日向と若狭湾を繋ぐ運河に大蛇が出て川を塞いで困っていた所、「蛇は自分より大きいものを恐れる」と言われ、藁で大きな綱を造り、運河に張っておいたら大蛇はいなくなったという。村人は喜び、縁起の良い綱に触れようと海中で引き合ったのが、綱引きの由来とされる。
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2008/9/2


明通寺 三重塔 Myoutsuu-ji Sanjuu-no-tou 

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 明通寺(みょうつうじ)は、福井県小浜市門前にある真言宗御室派の寺である。本尊は薬師如来。小浜国宝巡り第6番とされ、大同元(806)年、坂上田村麻呂によって創建されたと伝わる。
 三重塔は、文永七(1270)年に建立された塔で、総高22.12mの桧皮葺となっており、国宝に指定されている。礎石・縁束石ともに自然石で漆喰叩の上に建てられた塔は、やや南寄りに東面して建っている。
 各層総円柱、組物は各重とも和様三手先で組み、尾棰は隈二重、平一重を配し、組入小天井をつけ、軒支輪附となっている構成はまことに華麗といえる。地方にありながら様式のくずれがなく、国内でも鎌倉建築を代表する貴重な建造物である。
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2008/8/14


福井 お水送り Fkui Omizu-Okuri 

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 福井のお水送りは、福井県小浜市の若狭神宮寺にて行われる神事である。
 若狭神宮寺は天台宗の寺で、本尊は阿弥陀如来。和銅7(714)年、泰澄大師の弟子、沙門滑元が創建したと伝えられる。
 天平勝宝四(752)年、インドの渡来僧・実忠和尚が国家安泰を祈願してお水送りを創始した。お水送りが始まった年は東大寺の大仏造営の翌年であり、大仏造営にあたって大量の水銀などを使用した鉱物汚染を若狭の清らかな水で清浄化したとも推定される。
 毎年3月2日、この鵜の瀬で行われる「お水送り」は、鵜の瀬で大護摩に火を灯し、炎が遠敷川の川面に燃え広がるなか、鵜の瀬の水が奈良へ送られる。若狭地方では「お水送り」が終ると春が来るとされている。
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2008/7/30


吉峰寺 Kippouji 

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 福井県の吉峰寺(きっぽうじ)は、曹洞宗の開祖・道元禅師が越前志比荘の地頭・波多野義重の勧請を受け、寛元元(1243)年に京都から移った時、最初の修行の場とした寺である。
 道元は正治二(1200)年に京都で生まれ、貞応二(1223)年、宋に渡り、天童山景徳寺の如浄禅師のもとで悟りを開き、安貞元(1227)年に帰国。帰国後は、京都深草の興聖寺で坐禅を民衆に教えた。
 越前に移ってから、道元は大本山永平寺(大佛寺)を開くまでの2年間も、この吉峰寺で『正法眼蔵』の説示を行い、「寛元二(1244)年二月十四日、吉峰寺で示衆」という記録が残っているが、その後荒廃してしまった。
 明治三六(1903)年、田中佛心和尚が霊跡を振興して諸堂を再建。大本山永平寺の六四世大休悟由禅師を請して中興開山された。
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久須夜神社 Kusuya-jinja 

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 福井県小浜の久須夜(くすや)神社は、延喜式神名帳に記録のある古社である。鎌倉時代には若狭国鎮守大明神十社の一つに列せられ、崇敬されてきた。
 久須夜ヶ岳の山腹に沿って聳立する巨巌「大神岩(狼岩)」は、同神社の祭神である大己貴神(おおなむちのかみ)が降臨した磐座(いわくら)と伝えられる。
 この辺りから山麓の現社地を含む一帯は「烏帽子の森」と呼ばれ、古来より堅く不浄を禁じられてきた。こうして古代の森そのままの社叢(しゃそう)が壮厳な神域を形成している。
 長く続く参道の両側には、杉が植栽されており、神社の杜には欅(ケヤキ)、無患子(ムクロジ)、犬槇(イヌマキ)などが混生し、本殿の右側の山麓は、スダ椎(スダジイ)、藪椿(ヤブツバキ)、金蕨(カナワラビ)の群落となっていて、椎の大きな木と、背の低い金蕨との調和が、多様な様相を見せている。
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2008/5/1


福井城 Fukui-jou 

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 戦国武将、柴田勝家(しばたかついえ)が、越前一向一揆を鎮圧した功績を称えられ、信長より与えられた北ノ庄城。かつて北ノ庄の砦といわれたその城が福井城の始まりである。
 江戸時代には、徳川家康の次男、結城秀康が入城し、慶長六(1601)年から六年の歳月をかけて壮大な天守を建て、その高さは約三〇mにおよび、堂々たるものだったという。
 その後、第三代藩主となった松平忠昌(まつだいらただまさ)が縁起をかついで、北ノ庄を「福居」と改名し、やがて「福井」と呼ばれるようになった。
 現在では外堀は完全に埋められているが、水で満たされた幅広い内堀や堂々たる石垣が残されている。本丸跡には県庁などが建設されており、立派な風格が感じられ、近世城郭の姿へと想像をかきたてる。
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