NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/19


殿様湯跡 Tonosama-yu-ato 

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 殿様湯跡(とのさまゆあと)は、鹿児島県指宿(いぶすき)市西方にある、かつて領主・島津氏が使っていたという湯殿である。市の文化財に指定されている。
 江戸時代、薩摩藩を治めていた島津家の温泉別荘跡で、現存の浴槽は天保二(1831)年、第二七代薩摩藩主・島津斉興(しまづなりおき)によって摺ヶ浜より移設されたもの。
 浴槽は、山川石と呼ばれる加工しやすい凝灰岩を組み合わせて造られており、お湯が4つの湯壺を次々にまわり、適温になるように工夫されている。浴室には洋風のタイルが使われており、大変豪華なものだった事が伺える。
 奥には「湯権現」が祀られており、現在の浴舎の前には「二月田(にがつでん)温泉殿様湯」の石碑が据えられ、代々藩主の名を記した看板や丸に十の字紋を染めた暖簾がかけられている。
 殿様湯跡は、風格ある歴史を偲ばせる史跡である。
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2007/6/6


旧函館区公会堂 Kyuu-hakodate-ku-koukaidou 

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 北海道の函館港を見下ろす基坂の坂上に建つこの旧函館区公会堂は、明治四〇(1907)年の大火で焼失した町会所に代わる施設として建設され、明治四三(1910)年に完成した。
 当時の豪商・相馬哲平の寄付により、現在の金額では10億を超える巨額の建設費を投じて造られた。
 正面にバルコニーを見せる木造2階建ての擬洋風建築で、左右対称のコロニアルスタイルとブルーグレーにイエローの配色が特徴的な美しい建物だ。当時としては最もモダンな建物であった公会堂は、今なお元町のランドマークと呼ばれている。
 明治四四(1911)年には当時の皇太子(後の大正天皇)が行啓の際に宿泊したこともあるとか。館内は、その貴賓室130坪の大広間など、当時の華やかな雰囲気をそのまま残している。
 旧函館区公会堂は、昭和四九年に国の重要文化財に指定されている。
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2006/12/18


大浦天主堂(国宝) Ooura-tensyu-dou Ooura Cathedral, National Treasure

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 大浦天主堂は、教会として日本で唯一国宝建築物に指定されており、現存する日本最古の木造ゴシック様式の教会である。正式名称は「日本26聖人殉教者天主堂」と呼ばれ、豊臣秀吉のキリシタン禁教令によって捕縛され1597年長崎の西坂の丘で日本人20名、外国人6名の聖人が処刑された。後に1862年ピオ9世教皇により彼ら聖人の尊称を献上されて、カトリック全教会信者の尊崇をうけることになった聖殉教者達に捧げる為に、フランス人司祭ベルナール・プチジャン神父により建立された。建築当初は三本の塔を持つゴシック風のつくりながら、正面中央の壁面はバロック風で、外壁はナマコ壁という特殊なスタイルであった。1879年に増築され、外壁をレンガ造にあらため、完全にゴシック風の建物になった。
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2006/12/17


泉山磁石場 Izumiyama-jisekiba Izumiyama Kaolin Deposit

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 えぐりとられたような奇形を残すこの山は、約400年前陶工初代「季参平」という人物が陶石を発見し採掘した跡である。昭和55年、国の史跡として指定される。
 有田の泉山で磁器の原料となる磁石が発見された後、有田で日本初の磁器が焼かれ世にお披露目することとなった。江戸時代を通して、陶石は皿山代官所によって厳しく管理される。
 しかし明治時代には、山を一つ削り取ってしまう。更に掘り下げた結果、まだ埋蔵量は確認できたものの、廃水の不備や熊本県の天草陶石の使用が多くなり、時代の流れとともに、採掘量は減少。近年まで、タイル用の土に利用されていたが、現在は休鉱中である。
 採掘跡の中央部分は広場になっている。崖の頂上は、岩肌の白さを引き立てるかのごとく青々とした松が生い茂る。
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