NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/2/27


長岳寺 Chougaku-ji Chogakuji Temple

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 長岳寺は奈良県桜井市に位置する高野山真言宗の寺院である。山号は釜口山(かまのくちさん)、関西花の寺第十九番。
 淳和天皇の勅願により、天長元(824)年に空海により開基、大和神社の神宮寺として建立された。
 戦国時代、戦火により被害を受けるが、慶長七(1602)年に徳川家康の庇護を受け、再興したとされる。
 本尊は阿弥陀三尊、目に水晶を使う玉眼の技法を用いた仏像では日本最古のもの。
 境内の鐘楼門は平安時代のもので、創建当時の唯一の建物である。
 寺院所蔵の絵画に狩野山楽による極楽地獄図があり、九幅、縦3・5メートル、横11メートルの大絵図は古来より人々に仏の世を説いてきた。
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2007/2/12


元興寺(世界遺産) Gangou-ji(Sekai-isan) Gangou-ji Temple (World Heritage Site)

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 奈良県奈良市にある元興寺。南都七大寺のひとつに数えられ、飛鳥の地に創建されたわが国最初の本格的寺院である。
 その歴史は6世紀末、蘇我馬子により建立された日本最古の寺といわれる法興寺(飛鳥寺)が平城遷都により奈良に移り、元興寺と名を改めたものである。
 平安時代後半には衰退し、室町時代には炎上、寺院が3つに分裂した。1943年に住職であった辻村泰圓が境内の整備を進めた。
 現存する建物は極楽堂と禅室のみであるが、ともに国宝に指定されている。
 極楽堂と禅室屋根の一部には飛鳥時代・奈良時代の瓦が今もなお使われており、収蔵庫には様々な国宝や重要文化財が保存されている。1998年12月には古都奈良の文化財として世界遺産に登録された。
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2007/1/28


桂昌寺跡 地獄極楽 Keishouji-ato Jigoku-gokuraku Jigoku-Gokuraku (heaven and hell) Cave at Keishoji Temple Ruin

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 洞窟型地獄巡りで、江戸の天台僧午道法印が文政3(1820)年に作った。
 江戸末期、大衆教導の場として造られた全国でもまれな洞窟。ノミで掘って当時のままを残しているのは貴重なものといわれる。
 入るとまず閻魔大王の裁判を受け、牛頭(ごず)馬頭(めず)に引かれて地獄道(40m)を進む。その先で脱衣婆(だつえば)が不気味に待っている。さらに進むと血の池地獄があり、赤鬼青鬼が待ち構える。地獄道を抜けると今度は極楽道(30m)となる。途中の十三仏に助けられて極楽浄土へと迎えてくれる来迎(らいごう)弥(み)陀(だ)や観音・勢至菩薩(せいしぼさつ)の前に出る。
 その横の竪穴を鎖づたいに5mほど登ると、その丘上が極楽浄土で、阿弥陀(あみだ)如来(にょらい)をはじめ多くの菩薩と一緒にすばらしい景色を楽しむことができる。
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2006/12/20


三千院 Sanzen-in Sanzen Temple

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 三千院(三千院門跡)は、京都市左京区大原にある天台宗の寺院。本尊は薬師如来。
 青蓮院、妙法院と共に天台宗の三門跡寺院の1つに数えられており、延暦七(788)年、最澄が比叡山延暦寺を開いた時に、比叡山内の東塔南谷に自刻の薬師如来像を本尊とする「円融房」を開創したのが起源という。
 円融房のそばの大きな梨の木から「梨本門跡」とも呼ばれ、「円徳院」「梶井門跡」「梶井御所」「梶井宮」の別称もある。
 三千院という寺名は度重なる移転の後、明治四(1871)年、三千院の本坊が大原の地に移転して以降使われるようになった。その時、12世紀から元々この地にあった阿弥陀堂往生極楽院(旧称極楽院)が、その境内に取り込まれた。
 国宝の阿弥陀三尊坐像を所有。
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2006/12/15


霊場 恐山 Reijyou Osorezan Mt. Osorezan

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 日本三大霊場のひとつ恐山は、862年に慈覚大師が開山したといわれている。
 立ちこめる硫黄臭と火山岩に覆われた風景はまさに「地獄」のイメージ。その奥には、白い砂浜に抱かれた宇曽利湖の「極楽浜」が広がり、見事なコントラストを見せている。恐山は特殊な自然環境と、地域の信仰心が織り成す霊場なのである。
 下北地方には「人が死ねば、みな恐山へ行く」という民間伝承が残っており、恐山は古くから死者への供養の場として知られていた。観光地化したのは、戦後になってから。恐山大祭と秋詣に開かれるイタコの口寄せが話題を集めたのである。死者の霊を呼び出だし、自身に乗り移らせてその言葉を語るイタコの口寄せには、期間中、早朝から長い行列ができる。
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