NIPPON Kichi - 日本吉

記事数7件: 1~7 件表示          

2008/4/4


神明社 三番叟 Shinmeisha Sanba-sou The Sanbaso Dance at Shinmeisha Shrine

Jp En

 静岡県西伊豆町の中地区に鎮座する神明社(しんめいしゃ)。
 慶長五(1600)年に、現在の地に再建されたといわれる古社で、毎年一一月二日の夜と三日の朝の二回にわたって奉納されるのが三番叟(さんばそう)という人形浄瑠璃である。
 江戸時代から続いているという人形浄瑠璃による三番叟は、周辺地区に多く伝承されており、この神明社の三番叟もそうして伝えられたものの一つであるといわれている。
 およそ1mほどの大きさになる千歳、翁、三番叟の三体の人形は、一体に付き二人の地区の若衆によって操られ、元は能の演目である「翁」を歌舞伎化した物語を繰り広げる。
 そうした神への捧げものは自然に対する感謝と五穀豊穣、家内安全、天下泰平や疫病祓いの祈りが込められている。
 操者二人がそれぞれ違う部位を操るその動きは、まるで中に人が入っているような緻密な所作で物語を紡ぎ出す。
 神に捧げられるその舞は、見事なまでの美しさである。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します




牛越神社例祭 人形三番叟 Ushikoshi-jinja-reisai Ningyou-sanba-sou The Sanbaso Dance at the Annual Festival of Ushikoshi Shrine

Jp En

 静岡県の西伊豆町宇久須にある牛越神社(うしこしじんじゃ)において、毎年一一月二日と三日の二日間に天下泰平や五穀豊穣、国土安泰を祈願して奉納されるのが人形三番叟(にんぎょうさんばそう)である。
 能の演目の一つである「翁」を歌舞伎化したのが三番叟であり、それを人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)として演じる。
 その起源はいくつかあり、この伊豆に流された京都の公卿により伝授されたとする説や、江戸初期の伊豆金山奉行、大久保長安に伝授されたとする説がある。ただ、天明年間(1781~1788)に集落の若衆により同神社に奉納された記録が残っているため、この頃にはすでに行われていたと見られている。
 千歳、翁、三番叟の各一体に役者が三人ずつ付き、太鼓や笛、拍子などの演奏に合わせて、それぞれの担当部位ごとに絶妙なバランス感覚で人形を操る。
 人形と操者が一体となった幽玄の世界が、そこにはある。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/9/28


下元郷獅子舞 Shimo-motogou-shishi-mai 

Jp

 東京都西多摩群唯一の村、人口三千人足らずの檜原村には、古くから受け継がれてきた伝統芸能が数多く残されている。
 村内の多くの地区に伝えられている「獅子舞」もその伝統芸能のひとつである。これらは全て三匹獅子によるもので、奥多摩から関東一円に広がっているといわれ、その起源は室町時代にまでさかのぼるほど古いとされる。
 村の下元郷地区に伝承される「下元郷獅子舞(しももとごうししまい)」は毎年九月上旬に貴布禰伊龍神社(きふねいりゅうじんじゃ)へ奉納される舞である。
 家内安全と五穀豊穣の祈願、感謝の気持ちを込めて奉納される獅子舞の、舞始めと舞納めは神社で行われ、その中間の演目は神社外で舞うことことがあるという。
 三匹の獅子は黒い獅子頭を被り、舞には棒使いが絡む。辺りがすっかり暗くなると、舞はさらに熱気を帯びる。長い棒を巧みに操る、見応えのある棒使いの舞も披露される。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/8/22


鬼北文楽 Kihoku-bunraku Kihoku Bunraku

Jp En

 太夫の語りと三味線の音をバックに人形遣いが操る人形からは、えもいわれぬ色気が漂う。その動きは見るほどに美しく、観客を魅了する。文楽は三位一体の日本の伝統演芸。南与地方には鬼北文楽(きほくぶんらく)が継承されている。
 江戸初期の三名座のひとつとして四百年の歴史を誇っていたのが、淡路の人形浄瑠璃・上村平太夫一座。彼らが使用していた人形の頭や衣装道具一式は、明治時代にこの地に伝えられ、大切に受け継がれてきた。特に人形の頭39点は、徳島の名工と呼ばれた天狗久(てんぐひさ)らの作で、芸術性が高い貴重な作品として、衣装道具一式とともに昭和三四(1959)年、愛媛県の有形民俗文化財に指定された。また、人形遣いは鬼北町の無形文化財に指定されている。
 現在は伝承保存、後継者の育成を目的に鬼北文楽保存会、鬼北文楽後援会が組織され、敬老会や小学校での公演のほか、数年に一度の割合で近隣文楽グループとの合同公演も行っている。
 
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/8/15


竿燈祭 Kantou-matsuri 

Jp

 東北四大祭りの一つ、竿燈祭(かんとうまつり)は秋田県秋田市で毎年8月に行われる。
 竹竿を、縦横に組み、たくさんの提灯をつるした、大きな竿燈を操り、お囃子にあわせて練り歩くもので、夏の病気、穢れ、邪気を追い払うためのねぶり流しとして行われている。
 元々は短冊や人形を流す行事であったが、お盆に使われた高灯籠を門前に掲げた風習や、蝋燭の普及などに伴い、提灯を掲げたものが組合わされ発展し、江戸時代中期には現在の形になったと言われる。
 大人用の大若と呼ばれる竿燈は長さ12m、重さ50kにも及ぶが、持ち手は肩、腰、額など、体のいろいろな部分を使い、バランスを取りながら竿燈を操る。その姿に、沿道を埋めた人々は魅了される。
 幾重にも連なった提灯の灯りが夜空を照らす様は美しく、東北の夏の夜を彩る祭事である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/8/13


俵津文楽 Tawarazu-bunraku 

Jp

 俵津文楽(たわらづぶんらく)は愛媛県指定無形民俗文化財に指定されている人形浄瑠璃である。嘉永五(1852)年伊井庄吾が大阪から人形数個を購入し、人形芝居を始めたのが発端とされている。
 約8キロの重さの人形を、頭と右手、左手、両足を3人がそれぞれ息を合わせて操る。
 三味線に合わせて太夫が老若男女様々な登場人物を演じ、さらにそれに合わせて人形遣いが人形を操り、生きた演技で感情を表現する。
 この文楽が公演されているのが、御殿風瓦葺き屋根の俵津文楽会館である。
 この会館には県指定有形民俗文化財「俵津文楽人形頭、衣裳道具一式」をはじめ、文楽に関する資料120点余りが、保存状態も良く、展示されている。普段触れることの少ない文楽の世界を味わうことができる。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2006/12/15


凧あげ Takoage Kite Flying

Jp En

 日本で凧あげが正月の遊びとなったのは、江戸時代後期。歌舞伎役者や戦国の武将の絵、干支などを描いた和凧が、まじないや縁起物の要素を兼ね備えた、新年の遊びとして浸透した。
 凧あげは風の力で空に凧を浮かばせる遊びで、糸の長さや張り具合、風の向きなどを考慮して、巧みに凧を操るのが醍醐味だ。
 誰の凧が高く上がるかを競う遊びのほか、相手の凧に激突させ、凧を落としたり、糸を切ったりして自分の凧だけが空中に残るようにする「凧合戦」「ケンカ凧」と呼ばれる遊びも残っている。また、凧の形や絵柄を競う凧あげ大会も各地で開かれている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数7件: 1~7 件表示          
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter