一條大祭 Ichijou-taisai Ichijo Taisai Festival
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土佐の小京都、中村の祭りで高知県下三大祭の1つ。
応仁の乱を逃れて中村に下向し町を築いた一條家(一条家)の遺徳を偲ぶ盛大な祭りで、市民には、「一条公さん(いちじょこさん)」と親しまれている。
祭りの中心となる一條神社(中村御所跡)は市街地の中央に盛り上がった小森山にあるが、この丘にもともとあった愛宕神社を一条教房が中村下向のとき他へ移し、この丘を中心に御所を構えた。
天正年間に土佐一条氏は中村を追われたが、慶長一二年(1607)、遺臣により一条氏数代の霊をまつる祠が建てられ、その後文久二(1862)年、中村御所跡にあった一条家御廟所跡に、一條神社が建立された。一條大祭はそのとき以来盛大に行われるようになった。
境内には藤見の御殿跡や化粧の井戸など一条氏ゆかりの旧跡が残る。
応仁の乱を逃れて中村に下向し町を築いた一條家(一条家)の遺徳を偲ぶ盛大な祭りで、市民には、「一条公さん(いちじょこさん)」と親しまれている。
祭りの中心となる一條神社(中村御所跡)は市街地の中央に盛り上がった小森山にあるが、この丘にもともとあった愛宕神社を一条教房が中村下向のとき他へ移し、この丘を中心に御所を構えた。
天正年間に土佐一条氏は中村を追われたが、慶長一二年(1607)、遺臣により一条氏数代の霊をまつる祠が建てられ、その後文久二(1862)年、中村御所跡にあった一条家御廟所跡に、一條神社が建立された。一條大祭はそのとき以来盛大に行われるようになった。
境内には藤見の御殿跡や化粧の井戸など一条氏ゆかりの旧跡が残る。
- 住所
- 高知県四万十市
- 名前
- 一條大祭