NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/11


太平山三吉神社 Taiheisan-miyoshi-jinjya 

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 太平山三吉神社(たいへいざんみよしじんじゃ)は秋田県秋田市の標高1171メートルの太平山山頂に建つ神社である。昔より修験の場として崇められ、全国にある三吉神社、太平山構の総本宮である。通称、みよしさん、さんきちさんの呼び名で親しまれている。
 この神社は天武天皇の時代、白鳳二(646)年に役の行者小角(えんのぎょうじゃおづぬ)によって創建されたと伝えられている。後に、坂上田村麻呂が東夷征討の際にこの神社で戦勝を祈願し、お堂を建てたともいわれている。
 太平山は秋田県の東にそびえ、秋田のシンボルともいえる山である。頂上からは世界遺産である白神山地、鳥海山、仙北平野などの美しい景色をパノラマで眺めることができ、また、鳥居と雲海の幻想的なコントラストには、この地が霊験あらたかなことを痛感させられるという。
 毎年一月一七日には「ぼんてん」と呼ばれる、多数の男衆が神様のお力に授かろうと激しくもみあう勇壮な祭りが執り行われ、大勢の見物客が訪れるといわれる。
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2007/11/28


本山寺 三重塔 Honzan-ji Sanjuu-no-tou 

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 岡山県美咲町にある天台宗岩間山本山寺(いわまさんほんざんじ)。別名、岩間観音。
 白鳳七(679)年、役行者が創建し、奈良時代に唐より帰化した鑑真和上が再建したと伝えられる。岡山県東北部の美作地方(みまさかちほう)では最も古いお寺である。
 鎌倉時代の僧、法然上人の父母が子宝に恵まれるよう祈り続けたところ、後に法然となる勢至丸(せいしまる)を懐妊したと伝えられるゆかりの寺でもある。
 江戸時代に津山藩主となった森家と松平家の霊廟があり、徳川幕府の祈願所でもあった。
 境内の奥にある三重塔は純和様で、高さ二六・五メートル。国の重要文化財に指定されている。津山藩主、森長継が承応元(1652)年に再建したもので、屋根は檜皮葺、外部は木彫りが太く堂々とした姿を見せている。樹齢300年以上のカゴノキや杉木立に囲まれ、静謐な時間が流れる場所である。
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2007/10/12


八王子 真覚寺 Hachiouji Shinkaku-ji Shinkakuji Temple in Hachioji

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 八王子の真覚寺(しんかくじ)は、東京都八王子市散田町にある真言宗智山派の寺である。本尊は、不動明王。多摩四国八十八ヶ所71番札所とされる。
 応永一八(1411)年の創建で、白鳳時代の作である寺宝の薬師如来倚像は、市の有形文化財に指定されている。
 境内にある心字池周辺にはアジサイが多く、六月中旬には見頃となる。
 また、三月中旬からお彼岸にかけて産卵のために多数のヒキガエルが集まる事で有名である。今では少なくなったが、かつて数万匹に及んだともいわれるその様子は「蛙合戦」とも呼ばれた。
 梵鐘と鐘楼は万治三(1660)年に八王子千人同心が奉納したものといわれている。
 八王子の真覚寺は、アジサイと蛙合戦で知られる寺である。
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2007/10/4


大瀬神社 Ose-jinja Ose Shrine

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 大瀬神社(おせじんじゃ)は、静岡県沼津市西浦江梨にある神社である。祭神は、引手力命(ひきたぢからのみこと)。
 引手力命神社というのが正式な名前で、大瀬神社は別称であり、他に大瀬明神とも称される。
 創建時期は不明であるが、白鳳一三(684)年の大地震に伴って海底が突然隆起して琵琶島が出現したため、同時期の地震で多くの土地が海没した土佐から、神が土地を引いてきたのだ、と考えた人々が引手力命を祀ったのが最初、とも言われている。
 境内にある神池は、海から間近の所にあるにもかかわらず淡水の池であり、伊豆七不思議の一つに数えられている。
 駿河湾漁民の信仰の象徴で、海の守護神として知られており、古くから漁民の描いた絵馬や漁船模型が多数奉納されている。これらの奉納物は、歴史的にも貴重とされ、県の有形民俗文化財に指定されている。
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2007/10/1


足助神社 Asuke-jinja Asuke Shrine

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 愛知県東加茂郡足助町には二つの神社が並んでいる。大きいほうが足助八幡宮(あすけはちまんぐう)と呼ばれ、白鳳三(652)年に創建された由緒ある古い神社である。
 寄り添うように隣に立てられた足助神社(あすけじんじゃ)は明治三五(1902)年に創建された比較的新しい神社である。
 足助神社に祀られているのは、元弘の変の時に後醍醐天皇の味方となり、京都の笠置山に篭城した足助次郎重範という軍の総大将だった人物である。最後は捕らえられ、六条河原で斬首となったが、敵軍からは勇猛果敢、弓の名手として恐れられた。
 そのためか、足助町は弓道の盛んな土地柄でもある。
 足助神社の鳥居脇には、誤ってガンを射たことから出家した久右衛門という人物の辞世の句「先立ちし雁や浄土の道しるべ」が書かれた「雁塚」が建てられている。
 
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足助八幡宮 Asuke-hachiman-guu Asuke Hachimangu Shrine

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 足助八幡宮(あすけはちまんぐう)の創建は白鳳三(673)年とされる。明治元(1868)年の神仏分離で神宮寺が取り除かれ、その名残として鐘楼が残されている。
 本殿は室町時代の様式を残す三間社流れ造、檜皮葺(ひわだぶき)の優美な建物で、昭和二五(1950)年に国指定特別重要文化財に指定されている。
 奉納されている扁額「鉄砲的打図板額(てっぽうのまとうちずはんがく)」は 慶長一七(1612)年に、現在の足助町内にあたる三河国岩神村の沢田四郎右衛門尉の作である。鉄砲を描いた扁額は全国でも他に三枚しか現存しない。
 また、推定樹齢五百年の境内のスギは豊田市の天然記念物に指定されている。
 毎年一〇月第二日曜には豪華な山車四台が引かれる足助まつりが、一月には無病息災を祈願して七草粥の炊き出し行事が行われる。
 人々の足を助ける神として、現在では交通安全、病気平癒、安産の神として広く信仰されている。
 
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2007/9/21


大瀬崎 Oose-zaki Osezaki

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 大瀬崎(おおせざき)は、静岡県沼津市西浦江梨にある駿河湾に約1km突き出した半島である。別名、琵琶島とも呼ばれる。
 伝承によると、白鳳一三(684)年、大地震に伴って海底が突然隆起し、琵琶島として出現したのが始まりとされる。その後砂州が形成され、現在の半島となった。
 海越しに日本一の富士山をのぞむ景色は古くから名勝の地と知られ、訪れる者が後を絶たない。
 日本では最北端のビャクシン樹林の自然群生地としても有名で、岬の外海側の遊歩道沿いに、樹齢1000年を越えるビャクシンが群生しており、国の天然記念物に指定されている。
 ダイバーのメッカとしても知られ、海洋の安定性と生物の種類の豊富さが魅力と言われる。
 大瀬崎は、広く海外にもその名を知られている景勝地である。
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2007/8/10


勝手神社 Katte-jinjya Katte Shrine

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 勝手神社(かってじんじゃ)は、奈良県吉野町吉野山にある神社である。祭神は、大山祇神・木花咲耶姫命ほか3神。
 吉野八社明神の一つとされる。
 672年、壬申の乱の折、吉野に兵を挙げた大海人皇子(天武天皇)が、この神前で琴を奏でていると天女が舞い、吉兆を示したという伝説がある。
 1185年には、雪の吉野山で源義経と別れた静御前が追手に捕らえられた際、この社殿の前で雅な姿で法楽の舞いをまい、居並ぶ荒法師たちを感嘆させたという話が伝えられている。
 社殿は火災による焼失後、安永5(1776)年に再建されたものであったが、2005年、不審火により再び焼失してしまった。
 現在は一部に当初の木肌を残すのみで、有形文化財としての復興は難しいと言われている。
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