NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/13


見龍寺 Kenryuu-ji Kenryuji Temple

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 涌谷町にある見龍寺(けんりゅうじ)は、涌谷伊達家の城下町で知られる。本尊である如意輪観世音は、安慶によって造られたものといわれる。
 天正一九(1591)年、亘理重宗(わたりしげむね)が涌谷領主になった時、京都にある妙心寺の梁岩を招き、中興開山して円同寺と名づけた。寛文一一(1671)年、伊達安芸宗重の死去に伴い、法号に因んで寺号を見龍寺と改めた。
 見龍寺境内には涌谷伊達家四代宗重の霊屋(みたまや)である見龍廟がある。
 白壁の塀に囲まれており、建物は総欅素木造で向拝が付き、屋根は宝形造の銅板葺である。寛文一三(1673)年に建てられ、県の重要文化財に指定されている。
 堂の周囲には五・六代の霊屋のほか累代の涌谷伊達家の巨大な墓石などが立ちならんでいる。

 
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2007/9/6


長泉寺 Chousen-ji Chosenji Temple

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 長泉寺(ちょうせんじ)は、宮城県角田市角田長泉寺にある曹洞宗の寺である。本尊は釈迦牟尼仏。
 高源山または六国峯と号し、千葉県市川市総寧寺を本寺とする東北屈指の名刹である。
 永享八(1436)年、磐城国三芦城主・石川持光を開基とし、即庵宗覚禅師を開山として福島県石川町に創建された。
 石川氏の篤い外護を受けるが、豊臣秀吉の奥州仕置による石川昭光の角田移封にともない、慶長三(1598)年、寺籍を角田に移転し、現在地に長泉寺を移建した。
 本堂のほか客殿・位牌堂・書院・庫裏・表門・中門・鐘楼などを備え、中門はもと角田城の内門を移転したもの。
 本堂奥の霊屋(おたまや)には、石川昭光の木像と殉死七士像が祀られている。
 長泉寺は、石川氏ゆかりの落ち着いた古刹である。
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2007/8/7


長勝寺津軽家霊屋 Choushou-ji-tsugaru-ke-tamaya 

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 長勝寺(ちゅうしょうじ)境内にある御影堂(みかげどう)から南に一直線にならぶように弘前藩主津軽家の霊屋(ひろさきはんしゅつがるけのたまや)が、五棟並んでいる。
 大名やその家族になると墓は複数存在する場合もあり、これらも墓の一種である。
 それぞれに名前がついており、寛永五(1628)年に建立され寛文一二(1672)年に再建された初代為信室の霊屋である環月臺(かんげつだい)、寛永八(1631)年に建てられた二代藩主信枚の霊屋、碧巌臺(へきがんだい)、寛永一五(1638)年に建てられた二代信枚室の霊屋、明鏡臺(めいきょうだい)、明暦二(1656)年に建立された三代藩主信義の霊屋、白雲臺(はくうんだい)、宝暦三(1753)年に建てられた六代藩圭信著の凌雲臺(りょううんだい)とならんでいる。
 それぞれに似た構造となっているが、細かいデザインが変化しているため、時代による様式の変化を感じることができる。
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2007/8/2


見龍寺 御霊屋 Kenryuu-ji Otama-ya Otamaya at Kenryuji Temple

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 見龍寺(けんりゅうじ)は、宮城県遠田郡涌谷町字龍渕寺にある臨済宗の禅寺である。本尊は、如意輪観音。
 御霊屋(おたまや)は、見龍寺境内にある涌谷伊達家歴代の墓所で、県指定重要文化財とされる。
 江戸時代初期、仙台藩伊達家の伊達安芸宗重(だてあきむねしげ)が、幼君補佐の伊達兵部宗勝(だてひょうぶむねかつ)と奉行・原田甲斐宗輔(はらだかいむねすけ)の横暴を幕府に訴えると、原田が突然刃傷に及び、安芸は絶命した。その後、原田家は断絶、兵部も事件の責任者として失脚し、世に言う伊達騒動は終結した。
 天正一九(1591)年に開山した見龍廟は、寛文一一(1671)年、伊達安芸宗重の死去により見龍寺と改称し、2年後に御霊屋と呼ばれる墓が築かれた。
 墓所は二間四方、向拝つきの総ケヤキ素木造りで、当時を代表する建築様式を誇る。
 見龍寺の御霊屋は、後に忠臣と言われた、伊達安芸宗重の一族を弔う墓所である。
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2007/7/27


圓通院 霊屋 Entsuu-in Otama-ya Otamaya at Entsuin Temple

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 圓通院(えんつういん)は、宮城県宮城郡松島町にある臨済宗妙心寺派の寺院である。本尊は、聖観世音菩薩座像。三陸三十三観音霊場第1番札所とされる。
 バラ寺やこけ寺とも言われ、日本三景松島に建つ名刹である。
 正保四(1647)年、圓通院に伊達光宗の霊廟として、三慧殿(さんけいでん)が建立された。
 霊屋(おたまや)とは三慧殿の別名で、国の重要文化財に指定されている。
 建物は宝形造、本瓦葺で、四周に高欄付の縁を巡らす。東北地方では数少ない格式ある方三間霊屋の遺構であり、霊屋建築としては宮城県下最古とされる。
 内部に光宗の騎乗像を祀る禅宗様の厨子があるが、厨子の各所に施された彩色模様は華麗であり、中には一部キリシタン文化の影響を残す洋風の模様も見られ珍しい。
 圓通院の霊屋は、3世紀半もの間秘蔵とされた文化財である。
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2007/7/26


円通院霊屋 Entsuuu-in-otamaya 

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 円通院(えんつういん)は、宮城県の松島にある伊達光宗の菩提を弔った寺である。
 伊達光宗は、仙台藩二代藩主忠宗の二男であり、将来を託望される文武両道に秀でた人物だったが、わずか19歳の齢で死去する。
 その御霊を弔うために正保四(1647)年に円通院に建立されたのが、三慧殿(さんけいでん)との別名も持つ霊屋(おたまや)である。
 内部にある厨子にはキリシタン文化の影響が垣間見え、厨子の右扉には日本最古といわれる西洋バラや十字架などが描かれている。
 一説よると光宗は、その文武に優れた才能のため、外様大名から名君が出ることを恐れた幕府から毒殺されたとも言われており、そんな幕府に反発するかのように、使節団としてヨーロッパに赴いた支倉常長(はせくらつねなが)らが持ち帰った西洋文明の影響をわざと色濃く反映させたとも伝えられている。
 絢爛豪華で優美なその厨子には、伊達家の気概が映し出されている。
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2007/6/14


北海道 法幢寺 Hokkaido Houdou-ji 

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 法幢寺(ほうどうじ)は、北海道の松前郡にある、松前家の菩提寺。裏手には松前藩主松前家墓所がある。
 本堂左手の御霊屋は、天保五(1834)年に再建され、歴代藩主の位牌が安置されている。法幢寺の歴代の住職のなかには、藩主を諌めたため流刑に処された、門昌庵事件の柏巌和尚もいるということだ。
 本堂裏手にある庭園は狩野派の画法によるもので、中心には双龍の滝があり、風情ある眺めが楽しめる。境内には北海道には珍しい孟宗竹があるほか、桜が数本植えられている。静まり返った古刹らしい厳かな雰囲気の中、五月下旬ごろから遅い春を告げて境内を薄紅色に染め上げる。
 
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2007/5/11


高台寺 Koudai-ji Kodaiji Temple

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 京都・東山の山麓にある「秀吉とねねの寺」として著名な禅寺。正しくは高台寿聖禅寺(じゅしょうぜんじ)。豊臣秀吉没後、その菩提を弔うために秀吉の正室の北政所ねねが慶長11年(1601)年に開創。北政所は76歳で没するまでこの地に住まい、穏やかな晩年を過ごした。
 木下家定(北政所の兄)やその妻などの像が安置された開山堂。そして北政所の墓所で、秀吉とねねを祀る霊屋をはじめ、時雨亭、観月台、傘亭、表門などが国の重要文化財に指定され、庭は国の史跡・名勝に指定されている。
 春の枝垂
 夏の竹林
 秋の紅葉
 冬の水鏡
いつ訪れても華がある。
 ここは京の端正な季節のおもかげが凝縮された寺である。
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