NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/1


幸田町 本光寺 Kouta-cho Honkou-ji Honkoji Temple in Koda Town

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 本光寺(ほんこうじ)は愛知県額田郡幸田町、JR東海道線三ヶ根駅から東へ徒歩10分ぐらいの場所にあるお寺。正式名は曹洞宗瑞雲山本光寺である。
 開基は三河十四松平の一つ、深溝松平の初代である松平忠定公で松平家の菩提寺でもある。特にこの寺はアジサイでも有名で、別名「アジサイ寺」とも呼ばれている。
 その、アジサイの咲きほこる参道を進むと、右手に古めかしい小さな鎮守社があり、朱塗りの山門(薬井門)に出会う。山門をくぐると左手が西廟所、右手が東廟所で、どちらも松平家の霊廟である。
 山手の奥には方丈風で横に長い本堂の建物がある。軒下には松平忠利公が厄災消除のため作らせた、金銀銅をとりまぜ鋳造された梵鐘がつるされている。
 本尊は釈迦如来、脇侍である地蔵菩薩と千手観音菩薩は運慶の作と言われている。
 アジサイだけでなく、梅や椿も美しい寺である。
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天恩寺 Tenon-ji Tenonji Temple

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 愛知県額田郡額田町大字片寄字山下にある臨済宗妙心寺派の寺。
 戦勝祈願がかない、この地に寺を建立する願を生前になし得なかった足利尊氏の意をくんだ三代将軍足利義満が、貞治元(1362)年見性悟心禅師(けんしょうごしんぜんじ)に命じて天恩寺(てんおんじ)を建立した。
 城門のような豪壮さのある山門「薬医門」をくぐり境内に入ると、禅宗独特の放生池があり、橋を渡ると仏殿が見えてくる。仏殿は反りのはげしい唐模様の建築であり、国の重要文化財である。
 天恩寺には大杉があり、家康公見返りの大杉といわれている。そのいわれは、戦勝祈願に寺を訪れた家康が、このあたりで突然延命地蔵菩薩から「家康、家康」と呼び止められ、振り返ると大杉の後ろから刺客が矢を射る寸前であった、という伝説に基づくものである。幸いにも難を避けられた家康は、大杉を幾度も幾度も振り返り、戦場へ向かっていったと言われている。
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2007/9/14


岡崎市 妙源寺 Okazaki-shi Myougen-ji Myogenji Temple

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 岡崎市の住宅地の表通りからは見えにくい、奥まった場所に「妙源寺(みょうげんじ)」はある。
 薬医門(やくいもん)と呼ばれる構造の山門をくぐり、参道を直進すると四脚門がある。さらにその門の先には、室町時代中期に建てられた「太子堂」があり、聖徳太子一六歳像などが祀られている。かつて堂の前に柳の木があったことから、「柳堂」とも呼ばれる。
 文暦ニ(1235)年、碧海一郡の領主・安藤薩摩守信平(あんどうさつまのもりのぶひら)は、この柳堂に親鸞聖人を招き説法を受けたという。これに感化された信平は武門を捨て仏門に入り、正嘉ニ(1258)年、「明源寺」を建立したのが寺の始まりとされる。
 後に家康公を尊敬していたことから徳川氏の本姓である「源」の一字を賜り、「妙源寺」と改称したという。
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2007/9/13


瑞巌寺 御成門、中門 Zuigaan-ji Onari-mon,Naka-mon The Onari-mon and Naka-mon Gates at Zuiganji Temple

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 奥州随一の禅寺・瑞巌寺(ずいがんじ)は天長五(828)年、慈覚大師円仁によって開創され、伊達家の菩提寺として知られる。正式名は「松島青龍山瑞巌円福禅寺」といい、別名松島寺ともいう。
 現在の建物は、慶長一四(1609)年、名工一三〇人を集め、政宗が五年の歳月をかけて建立したものである。
 本堂と御成玄関・回廊・庫裡は国宝に、御成門・中門・太鼓塀は国の重要文化財に指定されている。
 御成門は、入母屋造本瓦葺の薬医門で、重厚な趣をみせている。
 御成門の右側にある中門は本堂の前にあり、四脚門で切妻造、こけら葺きで、壁がなく骨組みが露出している。中門両側には、政宗が朝鮮出兵の際、持ち帰って植えたとされる紅白の臥竜梅(がりゅうばい)が植えられている。臥せた龍に似ていることから臥龍梅と名付けられ、四月中旬が身頃となる。
 御成門・中門は対照的な趣向となっており、土壁は白壁で、中空の太鼓塀になっている。
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2007/9/6


耕龍寺 Kouryuu-ji Koryuji Temple

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 耕龍寺(こうりゅうじ)は、宮城県名取市増田北谷にある曹洞宗の寺である。
 応仁元(1467)年、室町時代前・中期の守護大名である伊達家第十一代・天海持宗によって開創された、伊達家ゆかりの古寺である。
 初代住職は持宗の第五男で、新潟県村上市の耕雲寺からやって来たという。
 山門は、伊達藩家老職・片倉家の居城であった白石城の門の一つを明治の初めに移築したもので、総ケヤキの素木造、屋根は切妻造の瓦葺で、薬医門類似形式の雄大な構えをしている。
 境内には、伊達家持宗夫妻の供養塔と言われる五輪塔2基がひっそりと佇んでおり、春には紅白の花桃三本が咲き誇る。
 耕龍寺は、立派な山門を持つ、長い歴史を誇る寺である。
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2007/5/22


東京大学 赤門 Tokyo-daigaku Akamon 

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 「赤門」の名前で親しまれているこの門は、今や東京大学の代名詞と言える存在だが、そもそもは元加賀藩上屋敷の御住居表御門で、徳川第一一代将軍家斉の二一女溶姫(やすひめ)が加賀藩一三代藩主前田斉泰に輿入れする際、溶姫を迎えるために建てられたもの。
 この門が「赤」であったわけは、将軍家斉の時代は三位以上の大名が将軍家から妻を迎える場合、居住する御守殿に朱塗りの門を建造することが慣わしだったためである。
 この朱塗りの門は焼失に際して再建を許されないという習慣があり、今や当時の原型をとどめる唯一の御守殿門となった。「赤門」は、その色鮮やかな朱塗り故に見た目にも大変美しい。中央部は屋根が中心の柱から少しずれる薬医門の型式で、切妻造、本瓦葺である。
 明治三六年に現在の位置へ移されるまでは、15メートルほどキャンパス寄りに位置していたという。移転は、明治三○年頃から始まった医科大学の建設のため。現在、国の重要文化財に指定されている。
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2007/3/7


水戸城 Mito-jyou 

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 水戸城は茨城県水戸市三の丸に位置した城である。
 平安末期、馬場資幹により築城。戦国時代に佐竹氏の手に移り、江戸時代に入り徳川家康の十一男、徳川頼房が水戸藩に転封され、以降水戸徳川家の居城として幕末まで使われた。
 天守閣も建てず、三階建ての櫓が作られていたが、戦時中に焼失している。
 徳川御三家の城とは思えない質素な造りだが、周囲に廻らされた空堀は深く鋭い、土塁も多く詰まれ、戦国の遺風を残している。
 現在残るのは移築された旧表門の薬医門、濠、土塁と国の特別史跡に指定された、三の丸の旧藩校、弘道館のみである。
 周辺には学校が立ち並び、文武を尊んだ水戸の伝統を今に伝えている。
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2007/2/21


播州加西 日吉神社 Banshuu-kasai Hiyoshi-jinjya 

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 古来より雨乞いの神として人々の信仰の強い「播州加西 日吉神社」。兵庫県加西市に所在する古刹である。
 創建は、約千六百年前。記録によると、福居村(現別所西)に賀茂明神と称し、大塩荘福居村、北宿村、小林村の三ヶ村の氏神であったが、室町時代の応永年間(1394〜1428年)の頃、それぞれの村ごとに分離して神社を建設。これが現在の日吉神社のはじまりだという。
 随神は猿で、神猿と言い、本殿の中に祀られている。「神猿」と書いて「まさる」と呼ぶ。「まさる」は、「魔が去る」「勝る」の意味で、魔よけ等のご利益があるという。本殿には「眼猿(みざる)」「「口猿(いわざる)」「耳猿(きかざる)」の珍しい彫刻が施されている。
 薬医門の棟の鯱(しゃち)瓦は現存する鯱瓦で最も古いもの。石鳥居は、県の重要文化財に指定されている。
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