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2007/9/18


津貫豊祭太鼓踊り Tsunuki-hoze-taiko-odori 

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 津貫豊祭太鼓踊り(つぬきほぜたいこおどり)は、鹿児島県南さつま市加世田津貫の天御中主神社(あまのみなかぬしじんじゃ)にて、毎年一〇月二七日に奉納されている踊りである。県の無形民俗文化財に指定されている。
 天御中主神社は、延宝八(1680)年に清木場から現在地に移された神社で、祭神は天御中主神。
 踊りは、天御中主神社の秋の例祭として奉納されているほか、豊年・五穀豊饒を祈願し、各地で秋祭りとして踊られている。
 起源は、神話や源頼朝の鎌倉幕府開設の祝いにあるとも言われており、念仏踊りや雨乞い、虫追いの踊りが農民の間に行われ、発展したものと考えられている。
 小太鼓2人、鐘2人、大太鼓16人で演じられ、小太鼓と鐘は女装した男の子で、大太鼓は大きな音を立てないように打つのが特徴的とされる。
 津貫豊祭太鼓踊りは、加世田に伝わる神秘的な郷土芸能である。
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2007/8/17


秋元勝彦 Akimoto Katuhiko Katsuhiko Akimoto

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 津軽塗の伝統工芸士。1942年、青森県弘前市生まれ。15才の時に渡辺国太郎に弟子入りし、6年後の63年独立。76年、津軽塗団地今泉漆工房の工場長となり、後継者の育成に励む。82年、工場を退社後は自宅にて製作を行う。
 唐塗のおぼんを中心に、七々子塗、紋沙塗、錦塗などを手がける。
 漆を塗っては砥ぐ、という工程を数ヶ月かけて数十回繰り返すことから別名「馬鹿塗」とも言われる津軽塗は、延宝5(1677)年、漆塗職人の池田源兵衛に始まる300年続く伝統工芸である。
 全国展商工中金局長賞、全国展林野長官賞、日本伝統工芸士沖縄金賞など数々の賞を受賞。
 2006年現在、津軽塗伝統工芸士会理事を務める。
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2007/8/10


八幡浜 八幡神社 Yawata-hama Hachiman-jinja 

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 愛媛県の南西部に位置し、四国一の規模を誇る魚市場をもち、みかんの産地としても知られる八幡浜市。
 八幡浜(やわたはま)という地名は、すでに養老年間(717~724)からあり、旧記に「八幡大神立たせけるにより、八幡浜と名づく」とあるように、地名の由来は八幡大神(やはたのおおかみ)がこの地の浜に立たせられたことによると伝えられている。
 八幡神(はちまんしん、または、やはたのかみ)を祀る神社は八幡神社と呼ばれ、その数は稲荷神社に次いで多く、その数は全国に1万とも2万ともいわれている。その中でも4番目に古い、「おはちまんさま」の名前で親しまれている八幡浜の八幡神社。
 町の中心部、矢野町商店街のアーケードに入る手前に鳥居と急な石段があり、その途中の石の鳥居は延宝年間(1673~1681)に立てられたもので伊予では一番古いとされている。
 社殿はすべて昭和五三年の放火により焼失し、昭和五八年に復興されたものである。
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2007/7/4


門昌庵 Monshou-an 

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 門昌庵(もんしょうあん)は、北海道八雲町にある寺社。江戸時代に松前藩のお家騒動の舞台となった地として有名である。
 その昔、延宝年間(1673~1681年)の松前藩主・矩廣の代のとき、松前家の菩提寺住職・柏厳和尚が悪臣たちの悪巧みにより、熊石に流されてしまった。柏厳和尚はそこで庵を結び、読経三昧の日々を送っていたという。しかし、悪臣たちの手は熊石まで届き、和尚は処刑されてしまった。その時、川が逆流するなど数々の奇怪な現象が起こり、祟りを恐れた藩は和尚の首を庵のそばに手厚く葬った。そしてこの庵を和尚の号を取って「門昌庵」と名づけ、以降松前藩は供養を続けたという。この事件を俗に「門昌庵事件」という。
 赤い色が鮮やかな門昌庵の山門は、およそ400年前に豊臣秀吉が松前藩5代藩主・義広に下賜された桃山別殿の裏門だったが、後に14代藩主・章広が庵に寄進したとされる。
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2007/6/27


旧檜山爾志郡役所 Kyuu-hiyama-nishi-gun-yakusho 

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 旧檜山爾志郡役所(きゅうひやまにしぐんやくしょ)は、北海道檜山郡江差町にあるかつての役所跡である。
 延宝六(1678)年、江差地方に自生するヒノキアスナロの伐採取締番所として、檜山番所が上ノ国から江差に移転した。その後、檜山奉行所と改称された。
 明治一二(1879)年、道内各所に郡が設けられ、檜山郡と爾志郡の二郡を管轄する郡役所として檜山爾志郡役所が設置された。
 明治二〇(1887)年、檜山爾志郡役所兼江差警察署庁舎として落成したのが、現在の旧檜山爾志郡役所である。
 内部では郡役所制度の変遷などをパネルで解説しており、郡長室には初代郡長の人形があって当時をしのばせている。
 旧檜山爾志郡役所は、北海道で現存する唯一の旧郡役所であり、全国にも25棟しか残っていない貴重な建物のひとつである。
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2007/6/20


新羅神社 Sinra-jinja 

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 新羅神社(しんらじんじゃ)は、青森県八戸市長者にある神社である。祭神は、素戔嗚尊、新羅三郎義光。
 延宝六(1678)年、八戸南部二代目藩主直政により、領内の五穀豊饒・万人安穏・無病息災などの祈願所として三社堂・虚空蔵堂と称したのが創祀といわれる。
 文政一〇(1827)年、八代藩主信真により現在の社殿が造営された。本殿は入母屋造りで、向背柱廻りや正面扉などに華麗な彩色模様が施されている。
 明治二(1869)年、社号を三社堂から新羅神社に改めた。
 昭和五一(1976)年、長者山新羅神社と改称する。
 2月には、八戸地方に春を呼ぶ「えんぶり」の奉納舞、8月には八戸三社大祭が開催され、大祭中の8月2日には代々八戸南部藩に伝承されたといわれる加賀美流騎馬打毬が行われる。
 新羅神社は、長者山の名で地域住民から親しまれている社である。
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2007/6/14


松前神社 Matsumae-jinja 

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 松前神社(まつまえじんじゃ)は、北海道松前郡松前市にある松前城址内にある神社。
 江戸時代に北海道にあった松前藩の先祖である武田信広を祀る。元々は歴代の松前藩主を祭祀していたが、旧藩主である松前家の先祖を祀るために、大正時代にできたという。
 松前神社で有名なものに、「松前神楽(まつまえかぐら)」がある。江戸時代、松前藩の奨励を受けていた頃から「お城神楽」と呼ばれ、境内の各地域に伝えられた。湯立神楽や能、舞楽などの要素を取り入れた古雅で格調高い舞である。延宝二(1674)年に松前十代藩主・矩広(のりひろ)が、平安と豊穣を祈る祭事として恒例行事に定めた。毎年5月上旬から中旬に執り行われる。
 また、神社鳥居の右手にある「臥龍梅」という、徳川三代将軍・家光が松前家七世公広に贈った梅は、松前神社の名物であり、初春の頃には観梅がてら参詣に訪れる人々で賑う。
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2007/4/6


山梨 猿橋 Yamanashi Saruhashi 

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 猿橋は、山梨県大月市猿橋町に位置する桂川にかかる橋である。
 山口県岩国市の錦帯橋、徳島県西祖谷山村のかずら橋とあわせ、日本三奇橋とも称され、国の名勝に指定されている。
 飛鳥時代に、百済の職人である志羅呼が、猿が体を支えあって橋を作り対岸に渡ったのを見て造ったのが始まりと言われる。延宝四(1676)年には橋の架け替えの記録が残り、現在の橋は昭和五十九(1984)年に再建されたものである。
 刎橋(はねばし)と言われる両岸から、四層に張り出された桔木を支点にして木の桁を渡す構造になっており、橋脚を持たないという特色を持つ。
 全長約31メートル、幅約3メートルの橋から眺める風景は、歌川広重の絵にも描かれた絶景として、今も訪れる人が絶えない。
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