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2008/8/11


大安寺 しだれ桜 Daian-ji Shidare-zakura 

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 大安寺(だいあんじ)は、愛知県豊田市大野瀬町中貝戸にある曹洞宗の寺である。伝承によると、寛永元(1624)年、竜光院(りゅうこういん)の末寺として創建され、長松山大安寺と称した。
 大安寺のしだれ桜は、瑞龍寺(ずいりゅうじ)の物と並び、大野瀬町を代表する大きく美しい桜であり、樹齢250年と推定される大木である。町の天然記念物に指定されている。
 見頃は毎年4月中旬ぐらいで、大安寺に行くまでにも立派な桜並木があり、観光客の目を楽しませてくれる。
 飯田街道沿いから遠く、川の対岸に見る桜も見事なもので、旬の時期には綺麗に枝づくしだれ桜が華麗に咲き乱れる。
 大安寺のしだれ桜は、地域を潤す優雅な大樹である。
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2008/8/4


刈谷市 楞厳寺 Kariya-shi Ryougon-ji 

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 刈谷市(かりやし)の楞厳寺(りょうごんじ)は、愛知県刈谷市天王町にある曹洞宗の寺である。応永二〇(1413)年、浜松市普済寺(ふさいじ)の利山義聡和尚が創建したとされる。第7世古堂周鑑の時に水野忠政が帰依し、刈谷城主水野家の菩提寺となった。
 戦国時代、岡崎城主・松平広忠は水野忠政の娘の於大(おだい)と政略結婚し、後の徳川家康が生まれた。しかし厳しい政略によって松平広忠は於大と離縁し、家康は今川や織田の人質となり、離縁後この近隣に住んだ於大は度々、楞厳寺を訪れたという。
 於大の方自画像の「伝通院画像」は県指定文化財であり、境内にある水野家廟所は刈谷市指定史跡となっている。
 刈谷市の楞厳寺は、松平家、水野家とゆかりの深い古刹である。
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2008/7/31


釈迦降誕祭 Shaka-Goutansai 

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 釈迦降誕祭(しゃかごうたんさい)は毎年五月に埼玉県坂戸市の永源寺(えいげんじ)で執り行われる仏事のお祭りである。
 永源寺は江戸時代に開基された曹洞宗の寺で坂戸のお釈迦さまと知られている寺である。
 祭りの起源は、寛文二(1662)年永源寺の三代目である島田忠政が長崎奉行として赴任した時、中国より伝来した降誕釈尊仏を入手し永源寺に納めた事から始まったといわれている。また、祭りの時期は坂戸の農家の農繁期の前であり、主産業である養蚕の安全と繁栄を願うため、いわば、農事暦の節目としても重要な意味を持つ祭りでもあった。
 祭りでは、本堂の前の花御堂(はなみどう)に納められている誕生仏に柄杓で甘茶をかけて無病息災や家内安全、商売繁盛を祈願する他、永源寺には江戸吉原を代表する名妓であり、江戸北町奉行嶋田忠政の五男権三郎と仙台の大名・伊達綱宗が奪い合ったと言われる高尾太夫が祀られていることから、昔ながらの花魁道中も行われる。
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2008/7/30


吉峰寺 Kippouji 

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 福井県の吉峰寺(きっぽうじ)は、曹洞宗の開祖・道元禅師が越前志比荘の地頭・波多野義重の勧請を受け、寛元元(1243)年に京都から移った時、最初の修行の場とした寺である。
 道元は正治二(1200)年に京都で生まれ、貞応二(1223)年、宋に渡り、天童山景徳寺の如浄禅師のもとで悟りを開き、安貞元(1227)年に帰国。帰国後は、京都深草の興聖寺で坐禅を民衆に教えた。
 越前に移ってから、道元は大本山永平寺(大佛寺)を開くまでの2年間も、この吉峰寺で『正法眼蔵』の説示を行い、「寛元二(1244)年二月十四日、吉峰寺で示衆」という記録が残っているが、その後荒廃してしまった。
 明治三六(1903)年、田中佛心和尚が霊跡を振興して諸堂を再建。大本山永平寺の六四世大休悟由禅師を請して中興開山された。
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2008/2/18


滋賀 願成寺 Shiga Ganjou-ji Ganjoji Temple

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 滋賀の願成寺(がんじょうじ)は、滋賀県蒲生郡蒲生町川合にある曹洞宗の寺である。本尊は聖観世音菩薩像。蒲生観音霊場第26番、釈迦三十二禅刹第9番、近江湖東名刹二十七ヶ所霊場第24番札所とされる。
 聖徳太子の発願によって仏法興隆、諸国安泰のため全国46ケ所に建立された願成就寺の1つであり、本尊は33年に1度の開扉とされる秘仏で、聖徳太子の母の面彰を写し刻まれたと言われている。
 もとは天台宗であったが、寛永二(1625)年、三栄本秀禅師によって中興され、曹洞宗に改宗した。
 昔この寺にいた美しい尼僧を慕い、姿を変えて毎日通った人魚のミイラと伝えられているものが観音堂に保存されている。また、本堂には中世の石造遺品が数多く残っている。
 滋賀の願成寺は、古式ゆかしい聖徳太子ゆかりの寺院である。
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2007/12/11


青梅 天寧寺 Oume Tennei-ji 

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 青梅市根ヶ布の天寧寺(てんねいじ)は、曹洞宗の寺院で、北陸の永平寺にならった回廊式の伽藍配置である。
 天慶年間(938~946)平将門によって開創された。後に兵火にあい、堂宇は焼失、廃寺となり、その後青梅周辺を治めていた勝沼城主・三田氏宗が、文亀年間(1501~1504)に開基した。江戸時代に入ると、末寺三七を数える大きな寺へと成長した。
 山門は宝暦九(1759)年の建築で、左右には二天像の多聞天と増長天の像がある。
 その山門を入って左側にある鐘楼の鐘は、大永元(1521)年、氏宗の子である政定が奉納した大梵鐘で、三田氏の貴重な金石文とされ、国の重要美術品として知られる。
 本堂は宝永四(1707)年に造られたもので、中央に祀ってある木造の釈迦如来坐像は、青梅市指定の有形文化財となっている。
 また、本堂の裏側には霞ヶ池があり、かわせみなどの楽園として知られる。この池が源となり霞川が始まり、入間川、荒川、そして東京湾に注がれている。
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2007/11/7


道元 Dougen Dogen

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 道元(どうげん)は曹洞宗の開祖。道元禅師と呼ばれる。
 正治二(1200)年、京都生まれ。一三歳で比叡山に昇り、翌年に出家。天台教学や禅を学ぶ。
 「正法」を求め、中国へ渡る。宝慶元(1225)年、天童山で如浄禅師と出会い、法を相承。「只管打坐(しかんたざ)」というひたすら坐禅に打ち込む修行が特徴。
 帰国後、建仁寺に住み、直ちに『普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)』を著した。約八年間、宇治の興聖寺(こうしょうじ)で禅の布教に専念した。
 越前に移り、大仏寺(現・永平寺)を開き、弟子の育成に力を注いだ。優れた人材を輩出し、日本各地に曹洞禅(そうとうぜん)を広めた。
 代表的な著作『正法眼蔵』は、九〇余卷にも及び、悟りへ至る道が記された書として、語り継がれ、研究され続けている。
 建長五(1253)年、五四歳で死去。
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2007/11/1


智満寺 Chimanji Chimanji Temple

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 智満寺は、静岡県榛原郡川根本町にある曹洞宗の寺である。本尊は、八相釈迦牟尼如来、宝冠釈迦牟尼如来、千手観世音菩薩、厄除延命地蔵菩薩とされる。
 寺伝によると、創建は奈良時代で、鑑真の法孫にあたる広智という高僧が草庵を結んだのが始まりとされている。
 一説には、島田市の智満寺の末寺として奥大井に天台教学の拠点として開かれたとの口伝がある。
 延徳3(1491)年、駿河国・洞慶院より回夫慶文禅師を迎え、曹洞宗に改宗開山された。
 平安時代中期以降は、修験道の霊場である山岳寺院として栄え、戦国以後は今川・徳川氏に厚く信仰された。
 智満寺境内の十本杉は樹齢800〜1200年の古樹であり、国指定天然記念物となっている。
 智満寺は、澄んだ空気と絶景の地に建つ古刹である。
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