NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/17


信楽院 Shingyou-in Shingyoin Temple

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 信楽院(しんぎょういん)は、滋賀県日野町のほぼ真ん中にある浄土宗の寺で、この地方の領主であった蒲生氏(がもうし)の菩提寺。貞和五(1349)年に蒲生高秀が小御門城(こみかどじょう)に阿弥陀如来を安置する小堂を建立したのが起源で、その後、音羽城、中野城と蒲生家の本城内に移されて来たが、中野城が廃されるに際し、定秀の隠居所であった現在地に移された。
 境内はさほど広くはないが、元文四(1739)年に建てられた県指定文化財の本堂などが目立つ。寺宝に伝恵心(でんえしん)作の観音像がある。本堂の天井には、日野町出身の著名な京狩野派画家・高田敬輔により、縦横一一メートルにおよぶ荒れ狂う巨大な竜が描かれ、睨みを利かせている。
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2007/9/27


宮城 岩蔵寺 Miyagi Ganzou-ji 

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 宮城の岩蔵寺(がんぞうじ)は、宮城県岩沼市志賀薬師にある天台宗の寺院である。本尊は、薬師如来像。
 貞観二(860)年、慈覚大師円仁が近江国志賀から薬師如来を移して開基したと伝えられる。
 境内の薬師堂に安置されている薬師如来は、大師自らが刻んだといわれる本尊の秘仏で、現在は開かずの厨子に納められている。
 脇侍に日光・月光の両菩薩を安置しており、平安後期の丈六阿弥陀如来像、運慶作といわれる十二神将、法眼となった狩野派の絵師による作とされる絵馬など、多くの像や寺宝を保持している。
 木立に囲まれた境内は素朴な味わいがあり、付近の人々の厚い信仰をうけている。
 宮城の岩蔵寺は、歴史ある古刹である。
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2007/7/11


龍雲閣 Ryuuun-kaku Ryuunkaku Guesthouse

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 北海道日高支庁静内町。そこに明治五(1872)年、新冠御陵牧場が建設され、宮中御料馬の生産や道産子の品種改良を担うことになる。
 牧場の担うその作業内容から、皇族をはじめ政府高官が多く訪れる場所となり、彼らの貴賓舎として明治四二(1909)年に建設されたのが、龍雲閣(りゅううんかく)だ。
 当初は凌雲閣と名付けられていたが、大正に入ってから今の名前で呼ばれるようになった。
 風格ある御殿造りの木造建築が大自然の中にたたずむ風景は、一種独特の雰囲気を放っている。
 ここには第一号の宿泊客となった伊藤博文の絶筆とされる、七言絶句の墨書や狩野探幽の絵屏風なども残されており、建物とともに収蔵品も貴重な文化遺産となっている。
 建物内部は桜祭り期間中のみ開放されるが、二階に登れば広大な牧場を見渡せる絶景を楽しめることだろう。
 吹き抜ける風はほのかに、明治の文明開化の香りを漂わせているかもしれない。
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2007/6/21


坂下宿 Sakashita-juku Sakashita-juku

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 坂下宿(さかしたじゅく)は、東海道五十三次の四七番目の宿場。
 現在の三重県亀山市にあたる。
 三重県と滋賀県の県境、箱根と並び称された東海道の難所、鈴鹿峠の東麓に位置する。元々は片山神社の参道付近にあったが、慶安三(1650)年の洪水で発生した土石流で壊滅したため、現在の場所に移転することとなった。
 「坂の下では大竹小竹・宿がとりたや小竹屋に」という唄が残っており、「坂下宿の本陣、大竹屋に泊まるのは無理だが、せめて脇本陣の小竹屋に泊まってみたい」という意味で、当時の宿場の旅籠の規模が分かる。
 安藤広重がこの地の絵を残しているが、移転した後の風景を描いている。室町時代の絵師である狩野元信が美しい絶景をうまく描けずに筆を投げたことから名前がついた筆捨山(ふですてやま)が見事に描かれている。
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2007/6/14


北海道 法幢寺 Hokkaido Houdou-ji 

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 法幢寺(ほうどうじ)は、北海道の松前郡にある、松前家の菩提寺。裏手には松前藩主松前家墓所がある。
 本堂左手の御霊屋は、天保五(1834)年に再建され、歴代藩主の位牌が安置されている。法幢寺の歴代の住職のなかには、藩主を諌めたため流刑に処された、門昌庵事件の柏巌和尚もいるということだ。
 本堂裏手にある庭園は狩野派の画法によるもので、中心には双龍の滝があり、風情ある眺めが楽しめる。境内には北海道には珍しい孟宗竹があるほか、桜が数本植えられている。静まり返った古刹らしい厳かな雰囲気の中、五月下旬ごろから遅い春を告げて境内を薄紅色に染め上げる。
 
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2007/4/4


伯耆大山 Houkidaisen 

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 伯耆大山(ほうきだいせん)は、標高1709mを誇る中国地方の最高峰である。溝口ICの方面から見ると富士山の姿に似ていることから、「伯耆富士」の愛称を持つ。
 伯耆大山は、四季を通じて変化に富み、様々な植物が登山者たちを迎える。山すそには広大なブナの原生林が広がり、山頂付近には天然記念物のダイセンキャラボクの群生地がある。山頂は、360度の大展望で、島根の三瓶山や隠岐の島、瀬戸内海を一望できる大パノラマが開ける。多くの登山者たちに愛される理由は、この素晴らしい眺望にあるのかもしれない。
 この美しい山は、江戸期の狩野派の画家、谷文晁(たにぶんちょう)が実際に歩いて描いたとされる「日本名山図譜」にも、山陰の山として唯一描かれているという。伯耆大山の豊かな自然と美しさは、昔も今も人々の心を捉えて離さない。
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2007/3/22


高野山 金剛峯寺 Kouyasan Kongoubu-ji 

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 金剛峰寺は、和歌山県伊都郡高野山町高野山に所在する。全国3600ヶ寺におよぶ高野山真言宗の総本山である。
 金剛峰寺の名称は、もともと高野山一帯の寺の総称で、ここは青巌寺と呼ばれていた。文禄二(1593)年、豊臣秀吉が亡き母の菩提寺として建立、文久三(1863)年に再建。その後明治時代に寺の名前を「金剛峰寺」と改め、総本山が置かれた。
 檜皮葺きの大屋根を持ち、東西54メートル、南北63メートルの大主殿(県の重要文化財)のほか、別殿、新別殿、奥殿、新書院、茶室などが並ぶ。大主殿の襖絵は狩野派の作。秀吉の怒りに触れ、豊臣秀次が切腹したとされる「柳の間」もある。日本で一番広い石庭、蟠龍庭は2400平方メートルの広さを持つという。
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2007/3/12


旧杉山家住宅 Kyuu-sugiyamake-jyuutaku Former Residence of Sugiyama Family

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 旧杉山家住宅は、大阪府富田林市富田林町に建っている重要文化財である。
 かつてこの住宅に住んでいた杉山家は、富田林寺内町の創設にも関わった旧家のひとつである。
 杉山家は江戸時代から明治時代にかけて、この住宅で造り酒屋を営んでおり、最盛期には使用人だけで70人を数えたと言う。
 建物内部はよく保存され、近世の状態をとどめている。大床の間に描かれた老松や襖絵は狩野派の絵師によるもので、昔日の繁栄が想像される。
 この住宅は現存する町家のなかで最古と考えられている。
 明治時代に活躍した明星派の歌人・石上露子の生家としても知られ、当時の書簡や遺品、解説パネルなどが展示してある。
 旧杉山家住宅は、昔の暮らしぶりを今に伝える大切な家である。
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