|
坂下宿(さかしたじゅく)は、東海道五十三次の四七番目の宿場。
現在の三重県亀山市にあたる。
三重県と滋賀県の県境、箱根と並び称された東海道の難所、鈴鹿峠の東麓に位置する。元々は片山神社の参道付近にあったが、慶安三(1650)年の洪水で発生した土石流で壊滅したため、現在の場所に移転することとなった。
「坂の下では大竹小竹・宿がとりたや小竹屋に」という唄が残っており、「坂下宿の本陣、大竹屋に泊まるのは無理だが、せめて脇本陣の小竹屋に泊まってみたい」という意味で、当時の宿場の旅籠の規模が分かる。
安藤広重がこの地の絵を残しているが、移転した後の風景を描いている。室町時代の絵師である狩野元信が美しい絶景をうまく描けずに筆を投げたことから名前がついた筆捨山(ふですてやま)が見事に描かれている。
現在の三重県亀山市にあたる。
三重県と滋賀県の県境、箱根と並び称された東海道の難所、鈴鹿峠の東麓に位置する。元々は片山神社の参道付近にあったが、慶安三(1650)年の洪水で発生した土石流で壊滅したため、現在の場所に移転することとなった。
「坂の下では大竹小竹・宿がとりたや小竹屋に」という唄が残っており、「坂下宿の本陣、大竹屋に泊まるのは無理だが、せめて脇本陣の小竹屋に泊まってみたい」という意味で、当時の宿場の旅籠の規模が分かる。
安藤広重がこの地の絵を残しているが、移転した後の風景を描いている。室町時代の絵師である狩野元信が美しい絶景をうまく描けずに筆を投げたことから名前がついた筆捨山(ふですてやま)が見事に描かれている。
[+ADDRESS] |