NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/4


蒲郡市 無量寺 Gamagori-shi Muryou-ji 

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 蒲郡市(がまごおりし)にある無量寺(むりょうじ)は、別名西浦不動ともいう。貞観元(859)年に真雅僧正の開創した古刹として知られ、また「がん封じの寺」として知られている。
 境内には戒壇めぐりの行場や、市内第二位の大きさを誇る天然記念物の大楠がある。
 無量寺には、中国は西安の慈恩寺をまねて作られた、高さ20メートルの大雁塔が建っている。塔は方形が七層のつくり。慈恩寺という寺は玄奘三蔵(三蔵法師)が天竺から持ち帰った経典の翻訳を行なった寺として知られている。
 無量寺の隣に建てられているのが、がん封じ堂である。絵馬には人形が描かれており、がんを直したい箇所を黒く塗るようになっている。堂には絵馬がびっしりと掛けられており、この寺の信仰にあやかって参詣する人々が多いことがうかがえる。
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2008/2/18


天竹神社 Tenjiku-jinja 

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 延暦一八(799)年、三河地方海岸に小さな漂流船が流れ着いた。その船に乗っていた中国西部の山岳少数民族、崑崙人(こんろんじん)によって日本に初めて綿の種がもたらされたと伝えられている。その後三河地方は木綿の産地として栄えた。
 その崑崙人の遺徳を伝えるため、天保八(1837)年天竹社が建立され、新波陀神(にいはだがみ)として祀られた。これが「天竹神社(てんじくじんじゃ)」の始まりである。
 毎年一〇月に行われる祭礼「綿祖祭」では古式の道具を用いて綿を打つ儀式が行われる。また漂流船にちなみ「舟みこし」がかつがれる。
 日本で唯一、棉祖神が祀られている神社ということで布団屋など木綿を扱う職業や関連する仕事を持つ人なども多く参拝に訪れる。
 境内には綿に関する資料などが展示されている。
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2007/10/31


神泉苑 Shinsen-en 

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 延暦一三(794)年、桓武天皇によって平安京が造営された際、大内裏の南にあった湿地帯を利用してつくられたのが神泉苑(しんせんえん)のはじまりである。常に清らかな神泉が湧き出ていることからその名が付いたといわれる。
 神泉苑は霊場としても知られており、天長元(824)年、干ばつのため淳和天皇の勅命によって弘法大師が雨乞いの祈祷をしたといわれる。この時天竺、すなわちインドから勧請したのが祈雨の神様である善女龍王(ぜんにょりゅうおう)で、それ以降善女龍王は神泉苑に住むようになり、善女龍王を祀るお堂が建てられた。
 また貞観五(863)年に疫病が流行り、神泉苑にて多くの御霊を鎮めるため御霊会が行われた。全国の国の数である六六本の鉾を立て、厄払いをしたのが、のちの京都三大祭のひとつである祇園祭のはじまりであるとされる。
 法成就池(ほうじょうじゅいけ)に架かる朱塗りの橋は法成橋という。願い事を一つだけ心に念じながら橋を渡り、善女龍王にお参りすると願望が叶うといわれている。
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2007/8/21


棉祖祭 Men-so-sai Menso-sai (Cotton Festival)

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 全国でも珍しい綿の神様「崑崙人(こんろんじん)」を祀る西尾市天竹町にある天竹神社。
 平安初期の延歴一八(799)年、太平洋で漂流し、三河国(現愛知県東部)に打ち上げられた一隻の船。船に乗っていた一人の天竺人(インド人)は助けてくれたお礼にと三河の人々に木綿の種を渡したと言う。
 残念ながら気候が合わず、それは生長しなかったと言われているが、その伝説に由来して村の名前が天竺(天竹)となり、また木綿の発祥地とされた。
 この綿を伝えた新波陀神(にいはだかみ)を祀る祭礼が「棉祖祭(めんそさい)」である。祭りでは船に乗って流れ着いたことにちなんで「舟みこし」が担がれ、古式の道具を使っての「綿打ち」の儀式が行われる。
 全国的にも珍しいこの祭り。木綿関係者も多く参拝に訪れ、賑わいを見せる。
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2007/8/7


滝山寺 Takisan-ji Takisanji Temple

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 滝山寺(たきさんじ)は、愛知県岡崎市滝町山篭にある天台宗の寺である。本尊は聖観音で、国の重要文化財に指定されている。
 7世紀後半頃、天武天皇の命で役の行者が薬師如来像を祀る吉祥寺として創建された。
 保安年間(1120~1123)、天台宗の仏泉上人・永救(えいきゅう)により再興された。
 本堂は、貞応元(1222)年に建立された県下最古の建造物で、屋根は桧皮ぶきの寄棟造り、和様・唐様・天竺様を取り入れた折衷様式で、重要文化財となっている。
 正保二(1645)年、3代将軍家光により本堂の隣に東照宮が建立され、幕府の保護で繁栄した。
 観音菩薩・梵天・帝釈天立像は、源頼朝の従兄にあたる僧・寛伝が安置したもので、制作は運慶とその一門であり、いずれも重要文化財に指定されている。
 滝山寺は、多くの文化財を保持し、人々に崇敬される古刹である。
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2007/5/29


能面 一角仙人 Noumen Ikkaku-sennin Noh Mask Ikkaku Sennin

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 能面(のうめん)とは、能楽に用いる仮面である。
 一角仙人(いっかくせんにん)は、鹿の体内から生まれ、額に角がある、強大な神通力を持つとされる仙人である。
 仙人とは、人間が修練などにより神通力を獲得し、不老長生をとげる者のことをいい、中国の道教により伝わっている。
 伝説によると、天竺の山中に住む一角仙人は、龍神と争い彼らを岩屋に閉じこめた。すると、雨が降らなくなってしまった。
 苦悩の末、帝王は美しい施陀夫人を大量にさしむけ、仙人はその色香にひかれて勧められるままに酒を呑み、酔いつぶれてしまう。
 すると、仙人の神通力はたちまちに失せ、封じられていた龍神が岩屋をやぶって現れ大雨を降らせたという。
 一角仙人の面は、他に角を外し怪士(あやかし)や真角に使われる能面である。
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2007/4/2


本興寺 本堂 Honkouji-hondou 

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 本興寺は、静岡県湖西市鷲津にある法華宗の寺である。本尊は、釈迦牟尼仏とされる。
 永徳3(1383)年までは真言宗の寺であったが、越後本成寺の門祖日陣聖人の教化により、法華宗に改宗した。
 当時の住職は日陣聖人の弟子となり、名を日乗と改め、本興寺は日乗聖人の開基となっている。
 本堂は建立年代不詳であるが、天文21(1552)年、修復が行なわれ、和、唐、天竺の三様式が巧みに折衷された建築であり、国の重要文化財に指定されている。
 茅葺屋根は重厚な安定感をかもしだし、向拝には輪宝の蟇股が施され、建物には土壁や釘が使われず、床下の亀腹はシックイ造となっている。
 本興寺本堂は、法華宗別院と称して貴重な文化財を多く所蔵している、歴史的な古刹である。
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2007/2/21


播州 清水寺 Banshuu kiyomizu-dera 

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 兵庫県の加東郡に所在する「播州清水寺」。千八百年の歴史を誇る古刹である。京都の清水寺と並び、日本三大清水寺のひとつに数えられている。
 起源は3世紀の古墳時代に遡り、天竺(インド)僧の法道が創建したとされる。その後、飛鳥時代の推古天皇三五(627)年、推古天皇が根本中堂を建立、神亀二(725)年、聖武天皇が行基に命じて講堂を建立したと言われる。
 清水寺の名前は、この地が水に乏しく、法道が水の神に祈りを捧げたところ、霊泉が湧き出たという伝説に由来するとされる。
 ここ播州清水寺は、播州地方でも屈指の紅葉スポットとしても有名。秋には紅葉が境内を紅く染め上げ、それは見事な眺めだという。
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