NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/13


皿貝法印神楽 Saragai-houin-kagura 

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 皿貝法印神楽(さらがいほういんかぐら)は、宮城県石巻市の皿貝地区に伝わる伝統芸能である。
 その起こりは、元和年間(1615~1623)に本吉郡戸倉村から伝えられたものだといわれ、現在は皿貝大日婁神社(さらがいおおひるめじんじゃ)と称する本山派修験成就院の法印であった久峯重光が、京に上った際に取得した能を原型に、「古事記」を台本として編み出したものと伝えられている。
 演舞番数は全部で三三番あり、主に日本書紀や古事記などの神話を題材としている。現在では三三番中、一五番が伝承され、荒舞を得意とする神楽としても知られている。
 舞台には本舞台の二間後方に、一段高く附舞台を設けるのが特徴で、そうした特設舞台で旧暦の六月一五日の大日靈神社(おおひるめじんじゃ)例祭の他、近郷の祭礼などで演じられている。
 平成二(1990)年には、県の無形民俗文化財に指定され、皿貝地区の大日婁神社の氏子たちによって、今も大切に守り継がれている。
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2007/9/11


牡鹿法印神楽 Oshika-houin-kagura 

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 牡鹿法印神楽(おじかほういんかぐら)は、宮城県北東部の牡鹿半島一体に古来より伝えられる伝統芸能である。
 法印とは、修験者や神官のことを表し、彼らの修験の一つとして、行われた儀式である。
 牡鹿法印神楽の起源は約六百年前という説もあるが、今も定かではない。
 稲井や渡波(わたのは)地区の修験者の間に伝わったものといわれ、独特の郷土色が残されており、動きの早い南部神楽とは異なり、ゆっくりした動作が特徴である。また、その所作には特別な踏み方があり、修験色が今も色濃く残されている神楽である。
 国選択の重要民俗文化財となっている今も、牧山零羊崎神社(まきやまひつじざきじんじゃ)での新年、春季と夏季の例祭での奉納上演を始め、羽黒山鳥屋神社、沼津八幡神社で定例上演を行い、見るものを修験の神秘へといざなってくれている。
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雄勝法印神楽 Ogatsu-houin-kagura 

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 雄勝法印神楽(おがつほういんかぐら)は、宮城県石巻市の旧雄勝町周辺に伝わる、民俗芸能の神楽舞である。
 法印神楽は宮城県北東部一帯に分布する神楽の一種で、法印と呼ばれた修験者によって行われた加持祈祷の儀式である。
 悪霊退散や五穀豊穣を祈って舞われ、その地方の特色を今も色濃く残す芸能である。
 雄勝法印神楽も、古くは山伏神楽や大乗神楽と呼ばれ、修験者である山伏が、一子相伝に則って口伝で伝承してきたものである。
 法印神楽にも能のように流派があり、大別して羽黒派、本山派、当山派の三つに分けられるが、雄勝法印神楽は羽黒派に属する神楽である。
 日本書紀や古事記などの神話物語で構成された、地方的特色の顕著な舞は大変貴重な文化遺産であり、雄勝法印神楽も平成八(1996)年に重要無形民俗文化財に指定され、今も地域の人々によって、大切に受け継がれている。
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江島法印神楽 Enoshima-houin-kagura 

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 江島法印神楽(えのしまほういんかぐら)は、宮城県牡鹿郡の江島地区に伝承されている神楽である。
 大正八(1919)年、当時の江島区長が、登米地方から師匠を呼び、神楽を習わせたのが始まりとされている。
 岩手県南部から宮城県北部に伝えられた戸倉流神楽と、隣接する地区の寺崎流神楽の流れを汲むものとされ、四方を海に囲まれるという江島の地理的条件から、他地方では根絶した型や曲目が良く保存されている。
 本来なら修験者である法印たちの五穀豊穣や無病息災などの祈祷の儀式である法印神楽だが、漁師の多い江島においては、冬場の荒れた海に船を出せず、波が落ち着くまでの間、娯楽の一つとして舞われていたという。
 古代布の装束を着け、「古事記」を題材にした一五番の演目を神言風という詞章を唱えて舞う。
 浜の気性を感じさせる力強い演舞は、他の神楽とは一線を画すものであり、県の無形民俗文化財に指定され、保存会によって今も大切に伝えられている。
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本吉法印神楽 Motoyoshi-houin-kagura 

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 岩手県南部から宮城県北部に伝承される法印神楽の発生については諸説あり、定かではないが、俗に気仙神楽とか浜神楽と呼ばれ、海岸部の気仙や本吉、牡鹿郡に多く流布された。
 本吉法印神楽(もとよしほういんかぐら)もそうした中の一つであり、同地方に伝わるいくつかの神楽の祖流の一つであると目されている。
 同神楽が伝承されている南三陸の戸倉新町は、かつて折立村の中心で、四八坊の修験道場があったと伝えられており、同神楽はその修験者達によって神前に奉納するために伝承されたといわれる。
 元々は三三番の演目があったとされるが、現在ではその中でも一二番が伝承されており、特にかんなぎ二四番が有名である。
 今は南三陸町と北上町の羽黒派の法印九名によって伝承されており、それぞれで組を作って、各地の神社の祭礼などに招かれて奉納されている。
 幽玄で幻想的なその舞は、九名の手によって、今も守り継がれている。
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2007/8/14


寺崎の法印神楽 Tesasaki-no-houin-kagura 

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 寺崎の法印神楽は宮城県石巻市桃生町の民俗芸能である。
 神楽とは神事芸能の一つ。そして法印とは修験者のことで、その名がしめすように、もともと山伏たちが行っていた神楽である。
 昔は鎮守の祭礼に特殊な舞台が設けられ、山伏しか演じることが出来なかったが、明治以降、神仏の分離、そして修験道が廃止されたことにより、一般の人々も演じることが出来るようになった。
 法印神楽は、東北各地に伝わる神楽であり、この寺崎の法印神楽の演目は33番あり大神楽舞には三日間を要する。
 古くから八幡神社祭典に奉納され、毎年九月十五日に演舞される。
 昭和四八(1973)年、県指定民俗文化財として指定される。
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2007/8/3


岡谷地南部神楽 Okayachi-nanbu-kagura Okayachi Nanbu Kagura

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 岡谷地南部神楽(おかやちなんぶかぐら)は、宮城県登米市登米町に伝わる神事である。市の無形文化財に指定されている。
 明治三八(1905)年頃、在来の大崎・葛西館のあたりに分布していた法印神楽に南部神楽が混交したといわれる東和町の嵯峨立神楽(さがだちかぐら)が岡谷地に流伝し、更に栗原市の南部神楽から狂言が取り入れられた神楽である。
 テンポの速い伴奏で演舞されるこの神楽は、技巧が細やかで演技は華麗、ストーリーは劇的で、いかにも農村人が楽しめる里神楽としての情趣を持っている。
 神話や歴史物語などに狂言を加えたものが多く用いられており、「日本振袖(やまとふりそで)」と「歌津仇討ちの場」の演目は特に珍しいものとされる。
 岡谷地南部神楽は、里神楽の魅力溢れる民俗芸能である。
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2007/8/1


上町法印神楽 Kanmachi-houin-kagura Kanmachi Houin Kagura

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 上町法印神楽(かみまちほういんかぐら)は、宮城県登米市豊里町の稲荷神社例祭「まめからさん祭り」にて、毎年10月第2日曜日に行われている神楽である。県の民俗文化財民俗芸能に指定されている。
 江戸時代に、登米郡内の修験者である法印が神楽組を組織し、開墾完成と五穀豊穣を祈って祭礼等で舞ったのが始まりとされる。
 明治中期以降は神社の氏子等が引き継ぎ、伝承された。
 まめから祭りでは、舞台上での身体潔めの後、岩戸開き・道祖・魔王・産屋などの上町法印神楽が8時間にわたって奉納され、その後湯立て神事が厳かに行われる。
 その伝統的で見事な神楽に、観客からは歓声と大きな拍手が巻き起こる。
 上町法印神楽は、地元ではまめから明神と言われ、親しまれている稲荷神社の神事である。
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