NIPPON Kichi - 日本吉

2008/6/12

西尾城(錦城) Nishio-jou(nishiki-jou) 

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 西尾城(にしおじょう)は、別名を錦城(にしきじょう)といい、鎌倉時代前期の創築とされる古い歴史を持つ城である。古くは西条城という名前でも呼ばれていた。
 承久三(1221)年に三河守護・足利義氏(あしかがよしうじ)が築城した。
 その後、長男の長氏(ながうじ)に城を譲り、三男の義継(よしつぐ)に東条の地を支配させ、自らは二男の泰氏(やすうじ)とともに下野足利の地へ戻った。
 以後、長氏は吉良と称して代々この地を治めたが、永禄三(1560)年に勃発した桶狭間の戦いにより今川義元が戦死すると、牧野成定(まきのなりさだ)、酒井正親(さかいまさちか)・重忠(しげただ)、田中吉政が城主となり、城名を西条城から西尾城へ改名した。
 現在、本丸跡には御剣八幡宮および西尾神社があり、野面積みの石垣と濠の一部が残っており、近くに「西尾資科館」が建っている。
 平成八(1996)年には三層の本丸丑寅櫓(ほんまるうしとらやぐら)が再建された。

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住所
445-0864 愛知県西尾市錦城町227
名前
西尾城




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