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2008/8/29


はりみ(紙製ちりとり) Harimi(Kamisei-Chiritori) Harimi (Paper Dustpans)

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 まだ日本の家屋に和室が多かったころ、日々の簡単な掃除は箒とちりとりだった。
 さっと掃いて、さっと取る。その簡素な動作が、日々の暮らしを清潔なものにしていた。
 最近はそのような光景も余り見かけなくなってきたが、今の多種多様化するライフスタイルに、本当にそれらは合っているのだろうか。
 ちょっとした掃き掃除にもわざわざ掃除機を引っ張り出し、ちょっと使ってまたしまう。
 なら、いっそのこと昔のようにこのはりみ(紙製ちりとり)と箒を傍らに用意しておいてはいかがだろう。和紙に柿渋を塗ったもので、大きさも二〇cmほど。
 色合いも程好く、部屋の中にあっても自然と溶け込むし、大きさも小ぶりで、どこにあっても落ち着きがある。
 こういう日常の道具は無造作に部屋にあってこそ、映えるものであるべきだ。
 小さい箒とセットで、机や棚の上などの狭い場所で活躍してくれるだろう
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2008/5/20


三度笠 Sandogasa Sando-gasa Hat

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 三度笠(さんどがさ)は、竹の皮や菅(すげ)を編んで作られた笠の一種である。
 通常の笠は三角錐状の形を持ったものが多いが、三度笠は薄く平べったい形をしていて上方向へ膨らみを持っており、正面から見れば、厚みのある横一文字になっている。
 時代劇などで渡世人が被っている印象の強いものだが、本来は飛脚が愛用していたものである。
 この飛脚が、江戸と大坂、京都の三ヶ所を毎月三度ずつ往復していたことからその名を三度飛脚と言い、彼らが愛用していた笠にも三度笠という名が付いた。
 大きさも人の肩幅ほどあり、そう強くない雨なら充分に防げる。また、笠そのものも非常に軽くできており、商品以外はできるだけ軽くしたい旅商人なども多く用いていたという。
 内部には頭台という笠と頭頂部の間に挟む、丸い輪の台があり、被っていても非常に収まりが良くなっている。
 簡素ながら先人達の知恵が凝縮された笠であるといえるだろう。
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2008/3/10


形彫根付 Katabori-netsuke 

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 形彫根付(かたぼりねつけ)とは、根付のうち、木や牙歯類、陶器、金属、漆、琥珀、珊瑚類、ガラスなど、様々な材料を用いて立体的に人や動植物などを象ったものをいう。
 根付は、江戸時代にお金を入れるための巾着(きんちゃく)や煙草入れ、矢立て、印籠(いんろう)などの提げ物(さげもの)が帯から落ちないよう、紐で留めるために用いた留め具のこと。おおむね一九世紀半ばまでのものを古根付(こねつけ)、それ以降のものを現代根付(げんだいねつけ)と呼んで区別している。
 江戸時代初期は実用性を重視した簡素なものが多く、時代と共に装飾性も重視されるようになり、江戸時代中期に入って爆発的に流行した。明治時代に入ると海外から高い評価を得て輸出が盛んになり、その後、一時衰退に向かうが、近年になって様々な分野から技術者や多種多様な素材が参入。再び注目されつつある。
 今日は、古根付・現代根付ともに日本独特の文化を伝える美術品として扱われ、特に海外での評価が高い。
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饅頭根付 Manjuu-netsuke 

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 饅頭根付(まんじゅうねつけ)とは、根付のうち、平べったい饅頭の形をしたものをいう。ほとんどが象牙製か木製で、しばしば浮き彫りや漆、象嵌(ぞうがん)といった装飾が施されている。
 根付は、江戸時代にお金を入れるための巾着(きんちゃく)や煙草入れ、矢立て、印籠(いんろう)などの提げ物(さげもの)が帯から落ちないよう、紐で留めるために用いた留め具のこと。おおむね一九世紀半ばまでのものを古根付(こねつけ)、それ以降のものを現代根付(げんだいねつけ)と呼んで区別している。
 江戸時代初期は実用性を重視した簡素なものが多く、時代と共に装飾性も重視されるようになり、江戸時代中期に入って爆発的に流行した。明治時代に入ると海外から高い評価を得て輸出が盛んになり、その後、一時衰退に向かうが、近年になって様々な分野から技術者や多種多様な素材が参入。再び注目されつつある。
 今日は、古根付・現代根付ともに日本独特の文化を伝える美術品として扱われ、特に海外での評価が高い。
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鏡蓋根付 Kagamibuta-netsuke 

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 鏡蓋根付(かがみぶたねつけ)とは、根付のうち、蓋と皿を組み合わせて作られたものをいう。蓋はほとんどが金属製で円盤状になっており、浮き彫りなどの彫刻が施されている。皿の部分は象牙や堅い木が使われている。
 根付は、江戸時代にお金を入れるための巾着(きんちゃく)や煙草入れ、矢立て、印籠(いんろう)などの提げ物(さげもの)が帯から落ちないよう、紐で留めるために用いた留め具のこと。おおむね一九世紀半ばまでのものを古根付(こねつけ)、それ以降のものを現代根付(げんだいねつけ)と呼んで区別している。
 江戸時代初期は実用性を重視した簡素なものが多く、時代と共に装飾性も重視されるようになり、江戸時代中期に入って爆発的に流行した。明治時代に入ると海外から高い評価を得て輸出が盛んになり、その後、一時衰退に向かうが、近年になって様々な分野から技術者や多種多様な素材が参入。再び注目されつつある。
 今日は古根付・現代根付ともに日本独特の文化を伝える美術品として扱われ、海外での評価が高い。
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2008/3/5


武家造 Buke-zukuri Buke-zukuri

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 武家造(ぶけづくり)とは、鎌倉時代の武士の館の建築様式のことである。
 平安時代の貴族住宅の様式である寝殿造(しんでんづくり)は、寝殿と呼ばれる中心的な建物が南の庭に面して建てられ、東西に対屋(たいのや)と呼ばれる付属的な建物を配し、それらを渡殿(わたりどの)でつなぎ、更に東西の対屋から渡殿を南に出してその先に釣殿を設けていた。武家造は、この寝殿造りを簡略化したもので、板ぶきの屋根・板敷きの床などの簡素なもので、防備のため一種の城郭の設備が施されていたとされている。しかし実例がないため詳細は不明であり、現在の通説では独自の様式とはされていない。
 また、室町時代の書院造りの祖形となったと考えられており、室町時代初期に建てられた金閣は、1層が寝殿造、2層は武家造、そして3層は禅宗仏殿造という3つの様式が見事に調和し、銀閣寺にみられる書院造への変遷過程をたどることができる。
 因みに江戸時代の武家屋敷と混同されがちだが、全く別の様式である。
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2007/12/26


雛人形 Hina-ningyou 

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 雛人形(ひなにんぎょう)の起源は、古くは「形代(かたしろ)」と言われる川や海に人の身代わりとして人形を流して幼子の無事な成長を祈るものといわれ、時代とともに現在の様な形に変化していった。
 形代は三月の上巳の節句に、草木などの簡素な素材の人形(ひとがた)で体を撫でることにより、身の汚れ(けがれ)や災いを移し代わらせてお祓いを行っていたものであるが、天正年間の頃、平安時代の宮中で行われていた「雛あそび」と言われる遊びごとと、この厄除けの習慣が結びついて、「雛祭り」へと変わっていったとされる。
 現在のような平安装束を模した雛人形は、江戸時代には武家の子女の大事な嫁入り道具の一つとなり、次第に華美で贅沢なものになっていった。
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2007/11/20


袖師焼 Sodeshi-yaki 

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 袖師焼(そでしやき)は、島根県松江市袖師町に伝わる工芸品である。県の伝統工芸品に指定されている。
 明治一〇(1877)年、初代・尾野友市により松江市上乃木の皇子坂に開窯された。
 三代・尾野敏郎は、昭和の初めから柳宗悦(やなぎむねよし)の民芸運動に加わり、地元の粘土を用いた新作の民芸品として日常の暮らしの器物を作るようになった。
 出雲の伝統陶器の味わいを持ち、暮らしに役立つ強くて使いやすい中に簡素なうるおいのある陶器で、釉薬(ゆうやく)には地釉(ぢぐすり)、柿釉(かきぐすり)が多く使われているのが特徴とされる。
 食器類、酒器、茶器、花器など主として日常家庭用品を製作し、近年では、赤土粘土など、これまでと違った土を使用した作品も製作している。
 袖師焼は、出雲の土を生かした、質素で丈夫な伝統工芸品である。
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