NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/12/6


秩父 久昌寺 Chichibu Kyusho-ji 

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 秩父三十四箇所観音霊場のなかでもとりわけ風光明媚なのが、秩父市久那の久昌寺。本堂は、秩父地方の技法建築であり、その観音堂と池、竹との調和が美しく、人気の高い札所の一つである。秩父三十四箇所(ちちぶさんじゅうよんかしょ)とは、埼玉県秩父地方にある34か所の観音霊場のこと。
 観音堂は三間四面、堂内には宮殿形の厨子に本尊聖観音が納められ、本尊は一木造りの立像、室町時代の作という。
 秩父霊場草創の話の発端に、書写山を開いた性空上人が従者を従え秩父札所を巡った時、夢で閻魔大王に遭い、石の通行手形をもらったと伝えられている。その手形を御手判(おてはん)と言い閻魔の庁も無事に通れると言うもの。これにちなんで御手判寺ともいわれる。
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2007/6/18


小江戸 Ko-edo Koedo

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 小江戸(こえど)とは、江戸のように栄えた町、また江戸時代を彷彿とさせる町並みを小江戸と呼ぶ。
 江戸時代から町を誇る際に「まるで江戸のようだ」と表現したことがあったが、1986年に栃木市・川越市・佐原市の3市で行われた小江戸サミットでは、その表現を「小江戸」とする言葉が生まれ、注目された。
 現在、小江戸として有名な地は、城下町・蔵の町としても知られる栃木県栃木市(下野国)、江戸城の建物の一部が移築され川越藩の城下町であった埼玉県川越市(武蔵国)、佐原の大祭に名残を残し重要伝統的建造物群保存地区にも指定された千葉県佐原市(下総国)の他、千葉県夷隅郡大多喜町(上総国)、神奈川県厚木市(相模国)、静岡県磐田市(遠江国)、滋賀県彦根市(近江国)等があげられる。
 特に、埼玉県川越市では「世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり」と言われ、また千葉県香取市では「お江戸見たけりゃ佐原へござれ、佐原本町江戸まさり」という唄も残されている。
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2007/5/22


雲取山 Kumotori-yama 

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 雲取山は、標高2,017メートル。東京都の最高峰で日本百名山のひとつである。また同時に、埼玉県の奥秩父山系の一峰でもあり、県境である頂上には、測量上の基点となる一等三角点が置かれている。さらに、この三角点から南に約30メートル程下った所で山梨県とも接しており、一都二県に跨がっていることになる。
 奥多摩側からは眺望の良いなだらかな石尾根が続き、秩父側の三峰からは、頂上付近まで原生林が続いている。この対照的なアクセスルートを有することも、雲取山の魅力である。
 名前の由来だが、紀州の霊山・大雲取山の名を修験者が持ち込んだという説と、この地域で最も高く雲に隠れやすいということから付いたという説がある。
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2007/4/25


新井久夫 Arai Hisao 

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 埼玉県岩槻市、東京都文京区、台東区に伝わる伝統工芸品「江戸木目込人形」の伝統工芸士。
 1996(平成八)年、当時最年少の38歳で伝統工芸士に認定。
 江戸木目込人形は別名を岩槻人形とも言われる人形細工であり、糊で固めた桐粉を胴体にして、襟や帯、衣装の折り目の部分に細い溝を掘り込み、布地を埋め込み作られる。
 衣装を木目込むことから木目込人形と呼ばれ、人形自体に衣装を合わせるため、一つ一つが異なることから職人の技量が現れる点が魅力である。
 氏は子供の頃から、職人であった父の職場で遊び、基礎を身に付けたという。伝統の技法を修めながらも、常に新たな工夫を取り入れてゆく作品は多くの人に愛されている。
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2007/4/20


埼玉 忍城 Saitama Oshi-jo 

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 埼玉の忍城(おしじょう)は、埼玉県行田市にあった城である。別名、忍の浮き城、亀城。埼玉県指定旧跡とされる。
 関東七名城に謳われた忍城は、1480年頃に築城され、上杉、北条氏との戦いにも落城せず、石田三成の水攻めにも耐えた、戦国の世を生き抜いた名城である。
 徳川家康が関東入府後は、家康の四男・松平忠吉や阿部氏が入り拡張整備が行われ、1702年頃には改築が完了した。
 明治維新で破壊され廃城となり、その後は野球場となった。
 現在は、忍城本丸の跡地に往時の面影を再現した忍城址が整備され、四季の花が咲きそろう水城公園とともに美しい景観を誇る。また、忍城址内には郷土博物館が併設されている。
 忍城趾は、市民に愛される歴史と憩いの場所である。
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星渓園 Seikeien 

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 星渓園(せいけいえん)は、埼玉県熊谷市鎌倉町にある回遊式庭園である。
 元和9(1623)年、荒川の洪水によって、この地より西方にあった土手(北条堤)が切れて池が生じ、その池は清らかな水が湧き出るので「玉の池」と呼ばれ、この湧き水が星川の源となった。
 星渓園は、竹井澹如によって慶応年間〜明治初年にかけて造られた。澹如はここに別邸を設け、玉の池を中心に竹木を植え、名石を集めて庭園とした。
 昭和25(1950)年、庭園を熊谷市が譲り受け、翌年市の名勝に指定された。
 3600平方mの敷地内に星渓寮松風庵などの建物や、玉の池、そして100数十種の植物を配する美しい庭園である。
 星渓園は、静かな雰囲気の中で、優雅で格調高い日本文化の教養を身につけられる場所である。
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2007/4/16


川越 喜多院 Kawagoe Kitain Kawagoe Kitain Temple

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 川越の喜多院は、埼玉県川越市小仙波町にある天台宗の寺である。本尊は阿弥陀如来で、関東三十六不動28番とされる。別名、川越大師とも言われる。
 天長7(830)年、淳和天皇の命で慈覚大師円仁が建立し、当初は無量寿寺と号した。
 永仁4(1296)年、尊海が慈恵大師を勧請して無量寿寺を再興し、北院・中院・南院となる各房が建てられたが、中院、南院は戦国末期に滅びた。
 天正16(1588)年、天海が入寺し、寺を喜多院と改めた。
 寛永15(1638)年、火災で山門以外の伽藍を焼失するが、翌年、徳川家光の命で、江戸城御殿の一部を移築した。
 現在、喜多院は多くの文化財を所持し、正月3日には初大師・だるま市が立ち、五百羅漢などの見所も多く、参詣する者が後を絶たない寺院である。
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埼玉 多福寺 Saitama Tafuku-ji Tafukuji Temple

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 埼玉の多福寺は、埼玉県入間郡三芳町にある臨済宗の寺である。本尊は、釈迦如来とされる。
 元禄7(1694)年、川越藩主柳沢吉保は、農地争いが続く三富の地で公平な検地などをして争いを収め、農民を入植させた。
 元禄9(1696)年、多福寺は農民達の菩提寺として上富村に創立、8月に江戸東北寺の洞天恵水大和尚を拝請して開山とした。同年、中富村に祈願所として毘沙門社も建立された。
 以後、長い間地元農民の精神的支柱となった。
 これまで2度の災火にあったが、仏像、経巻、什宝などは無事に保管され、明治16(1883)年に、本堂が再営されて現在に至る。
 多福寺は、武蔵野の雑木林に囲まれた、往時の面影がしのばれる寺院である。
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