旧有壁宿本陣 Kyu-arikabesyuku-honjin Old Arikabe-shuku Honjin
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五街道の一つ「奥州街道」の金成宿(かんなりしゅく)と一の関宿の中間に位置する「有壁宿」は、元和五(1619)年に創設され、以来参勤交代の際には、松前・八戸・盛岡・一関の藩主や各藩重臣が宿泊する宿であった。
現在残る有壁宿の本陣は、代々、佐藤家が検断を勤め、同家に伝わる文書によると江戸中期の延享元(1744)年に火災にあい、現在の場所に移してその時、再建されたものである。以来今日まで災禍を免れ貴重な資料とともに当時の建物が残されている。
御成門、車寄せ、中座敷などの遺構を保ち、「宿駅検断文書」、「本陣宿泊文書」、「佐藤家内文書」などの重要な歴史資料が残されている。敷地内には土蔵や馬屋が残っていて、往時の武家社会の面影を伝えている。
現在残る有壁宿の本陣は、代々、佐藤家が検断を勤め、同家に伝わる文書によると江戸中期の延享元(1744)年に火災にあい、現在の場所に移してその時、再建されたものである。以来今日まで災禍を免れ貴重な資料とともに当時の建物が残されている。
御成門、車寄せ、中座敷などの遺構を保ち、「宿駅検断文書」、「本陣宿泊文書」、「佐藤家内文書」などの重要な歴史資料が残されている。敷地内には土蔵や馬屋が残っていて、往時の武家社会の面影を伝えている。
- 住所
- 989-4806 宮城県栗原市金成有壁本町31
- 名前
- 旧有壁宿本陣