藤川宿 Fujikawa-syuku Fujikawa-shuku
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藤川宿(ふじかわしゅく)は、東海道五十三次のうち第三十七之次である、徳川以前の鎌倉時代から続く古い宿場町であった。
現在の東海道すなわち国道一号線は、名鉄名古屋本線を挟んで町の北側を通っており、旧道である藤川の町は思いのほか静かだ。国道一号から分岐する所には、宿場の入口を示す「棒鼻」が残っている。
藤川は古い宿場町の保存に積極的で、現在資料館となっている脇本陣跡の門や秋葉山常夜灯、連子格子の町家など、当時を偲ばせる建造物も少なくない。藤川駅の南側に藤川小学校があり、その前に西の棒鼻がある。東の棒鼻からおおよそ1キロメートル程だ。
そこから少し先に「塩の道」であった吉良街道(きらかいどう)の分岐があり、碑が建っている。左手に分かれるのが吉良街道で当時の松並木が残っており、また右手の東海道にも藤川の松並木があり、国道一号への合流まで続いている。
現在の東海道すなわち国道一号線は、名鉄名古屋本線を挟んで町の北側を通っており、旧道である藤川の町は思いのほか静かだ。国道一号から分岐する所には、宿場の入口を示す「棒鼻」が残っている。
藤川は古い宿場町の保存に積極的で、現在資料館となっている脇本陣跡の門や秋葉山常夜灯、連子格子の町家など、当時を偲ばせる建造物も少なくない。藤川駅の南側に藤川小学校があり、その前に西の棒鼻がある。東の棒鼻からおおよそ1キロメートル程だ。
そこから少し先に「塩の道」であった吉良街道(きらかいどう)の分岐があり、碑が建っている。左手に分かれるのが吉良街道で当時の松並木が残っており、また右手の東海道にも藤川の松並木があり、国道一号への合流まで続いている。
- 住所
- 岡崎市藤川町
- 名前
- 藤川宿