NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/6/24


大野勇太郎 Oono Yuutarou Yuutarou Ohno

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 1935年、東京都生まれ。株式会社大野精密・代表取締役社長。
 北豊島工業高校卒業後、8ミリカメラ製作会社へ入社。1978年に歯車製作の株式会社大野精密を起業。大野氏は江戸時代のからくり人形を高精度の歯車製作の技術を駆使して現代に蘇らせている。
 工学書で「からくり人形」の存在を知ったことをきっかけに、細川半蔵の著書「機功図彙(からくりずい)」という解説書の複製を入手。本業の合間に解読を進め、それから約二〇年もの間、茶運び人形・指南車・からくり時計などを作り続けている。細川半蔵とは江戸時代に「からくり半蔵」と呼ばれた技術者である。
 顔と衣裳を除いた、約八〇点ほどの部品を使い組み立てられる人形は、なるべく当時の方法を残すようにして作られているという。江戸時代と現代が融合した機能美がここにある。
 今後は弓を引いて的に当てる「弓張り童子」の復元をしたいという大野氏。江戸時代の先達に敬意を持ちながら、からくり人形を通じてものづくりのロマンを現代に伝え続けている。
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2008/4/14


からくり人形 Karakuri-ningyou Karakuri Doll

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 からくり人形(からくりにんぎょう)とは、伝統的な機械仕掛けの人形の事である。
 からくりは10世紀頃の中国に見られ、日本に渡ってきたのは室町時代の事といわれている。
 江戸時代に入ってからは、時計などに使われていた歯車などの技術を人形の動作装置として応用し、からくり人形が作られ始めた。
 当初は上流階級の玩具であったが、次第に見世物として人気を呼ぶようになり日本各地に普及した。
 寛文二(1662)年には竹田近江がからくり芝居の興行をしており、享保年間(1716~1735)にはからくり門弥がからくりを駆使した乗り物を作っている。
 幕末には「からくり儀右衛門」こと田中久重が、江戸からくりの最高傑作と言われている「弓曳き童子」を製作した。
 からくり人形は、現代の人型ロボットの原点とも言える、日本の伝統的な精密機械である。
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2007/12/14


花尾神社 Hanao-jinja 

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 花尾神社(はなおじんじゃ)は鹿児島市花尾町にある島津藩所縁の神社。国道を少し離れた田園風景の中に朱塗りの赤い鳥居が立ち、杉の林へ参道が伸びている。
 島津氏初代・島津忠久は源頼朝と丹後局の間に生まれた子という伝説がある。この神社は忠久が薩摩・大隅・日向の三州の守護職に任ぜられた際に御堂を建て、頼朝尊像を安置、創建した。
 現在残る社殿は正徳三(1713)年建立のもの。幣殿や向拝に、鶴と松、牡丹と唐獅子、様々な花や長い牙をもつ象など、明るい色彩の細かな彫刻と装飾がある。さつま日光とも称されており、いつまでも見ていたくなる様な風情だ。
 天井絵は401枚の彩色による精密な草花の写生絵が見られる。嘉永六(1853)年狩野派の絵師・能勢一清が描いたとされているが、現存している絵がそうであるかは定かではない。
 社殿の横には丹後局の墓、御苔石があり、安産・子授のお守りに石の苔を持ちかえる人が多い。
 昭和五五(1980)年に県の有形文化財となっている。
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2007/8/27


伊勢崎銘仙 Isezaki-meisen Isezaki Ikat

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 伊勢崎銘仙(いせさきめいせん)は、群馬県伊勢崎市に伝わる織物である。別名、伊勢崎絣。
 伊勢崎では古くから養蚕が盛んで、絹織物の始まりは紀元前とも言い伝えられるが、産地が形づくられたのは、17世紀後半になってからである。
 江戸時代に、緻密な織物を「目専」と言ったが、これが語源となって、その後「銘仙」と呼ばれ、明治時代に東京でも売り出した。
 以後、昭和の時代に大繁盛し、2度ピークを迎えるが、現在は大分落ち着いている。
 その特色は括り絣、板締絣、捺染加工の技法にあり、単純な絣柄から精密な絣模様まで、絹の風合いを生かした手作りの絣として、色々なものが作られている。
 布地は丈夫で柄が多種多様、値段が手頃というのが特徴である。
 伊勢崎銘仙は、今も昔も手作業で造る丁寧・緻密な織物である。
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2007/7/25


伊勢型紙 糸入れ Ise-katagami Ito-ire Itoire Technique of Ise-Katagami

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 伊勢型紙の糸入れ(いせかたがみのいといれ)とは、三重県伊勢市に伝わる伝統工芸品・伊勢型紙における、精密な技術である。重要無形文化財に指定されている。
 伊勢型紙とは、きものなどの型染めに用いる型紙のひとつで、渋紙にさまざまな手彫りの技法で緻密な文様や優雅な図柄を彫り抜いたもの。
 糸入れとは、精密な縞彫りなどの型紙の細い筋の部分が、染めの時に曲がったり、よじれやすい部分に糸を貼り補強する技術である。
 彫りの隙間の多い型紙を補強するため、型紙を上下2枚にはいで極細の絹糸を渡し入れ、タンニン成分を持つ柿渋で貼りもどす事によって紙を補強する技法で、近年は紗という織物を彫刻した型紙に張り付けて補強する「紗張り」が取り入れられ、糸入れの伝承者は稀少になってきている。
 伊勢型紙の糸入れは、長い間受け継がれてきた、職人による精密な伝統技術である。
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2007/6/18


岩野市兵衛(人間国宝) Iwano Ichibee Ichibee Iwano (Living National Treasure)

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 昭和八(1933)年、福井県今立町生まれ。越前奉書製造で有名な人間国宝、八代目岩野市兵衛の長男として生まれる。九代目の自身も平成十二(2000)年に人間国宝に認定され、親子二代での人間国宝受賞となった。
 先代の市兵衛氏の漉く奉書は、広く内外の版画家から支持されピカソも愛用していたという。
 職人気質は父譲り、毎日ひたすら紙漉きを続けて六十余年、ただただいい紙を、という一念で仕事をしてきた。氏の漉く紙は腰が強く、どうやっても裂くことができないくらい丈夫。画家の精密な筆先でも絵の具が滲むことはない。
 葛飾北斎の極薄の版画用紙を漉いたこともある。復刻版画はバレンを何百回もかける。それに耐える紙を漉くのは難しいが、「挑戦するときは職人の血が騒ぎますね」と氏は穏やかに笑う。根っからの職人魂は、父をも超えた。
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2007/1/12


シルクリーフ 薄紅梅・若緑 Silkleaf strap usukoubai・waka-midori Pink and Green Silkleaf Straps

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 技術立国日本、というおなじみの言葉にある「技術」の意味は、通常は半導体加工などのハイテクのことを指す。しかし、長い歴史を俯瞰してみれば、日本は長年、その時々の先端技術を持っていたことが伺える。土木技術、伝統工芸、芸術にいたるまで、「匠」の言葉で言い表されるそれは、いまのハイテクと変わらず、精緻で丁寧な先端技術とも言えるのではないか。
 その象徴が、小さな世界で表現される工芸物の数々である。根付や人形といった、比較的小さなサイズの造作物に注がれる意匠の細やかさ、美しさは、まさに日本独特。職人の描き出す宇宙に想いを巡らせることができるのは、日本人であることの証左でもある。
 わずか12cmの長さのストラップも、匠の技を受け継ぐ京都の紐組職人の手にかかれば、日本の美をたたえる芸術品に昇華する。伝統色の紅梅と若緑で染め上げられた絹糸を、さりげなく使う贅沢さこそ、日本人だけが持つ美的感覚である。
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