NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/11/1


応声教院 山門 Ousyou-kyouin sanmon Sanmon Gate at Oshokyoin Temple

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 応声教院(おうしょうきょういん)は、静岡県菊川市中内田にある浄土宗の寺である。本尊は、準国宝の阿弥陀如来像とされる。
 斉衡二(855)年、茲覚大師により、文徳天皇勅願所の天台宗天岳院として創建された。
 後に、浄土宗を改宗した法然上人が、桜ケ池の竜神になったといわれる恩師皇円阿闍利を偲んで阿弥陀如来像を安置し、天台宗を浄土宗に改宗し、天岳院を応声教院に改名したと伝えられる。
 また、京都知恩院末、遠江十二支辰巳霊場としても知られ、阿闍利伝説の縁起書や歯吹阿弥陀如来座像などを所有している。
 石坂を登ると徳川2代将軍秀忠が建立した山門があり、のんべえ地蔵をはじめとした様々な地蔵や、遠州七不思議の一つ、片葉のアシや三度栗が植えられている。
 応声教院は、様々な伝説に彩られた古刹である。
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2007/8/30


大洗磯前神社 Ooarai-isozaki-jinjya Oarai Isozaki Shrine

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 茨城県大洗磯浜にある大洗磯前神社。創立は斉衡三(856)年。
 その頃、度々地震が発生して、人心が動揺し、国内が乱れていた。大己貴命(大国主神)はこうした混乱を鎮め平和な国土を築くために降臨されたと伝えられている。
 時代が下り、永禄年間(1558~1569)には兵乱のために、社殿以下の諸建造物がことごとく焼失。その後、江戸時代になって、水戸藩主徳川光圀は元禄三(1690)年、社殿の造営を起工し、次いで綱條の代には本殿、拝殿、神門にいたるまでの建造が完成した。
 現存する社殿、神門等は当時の建造物で、社殿の彫刻と共に徳川初期の様子を偲ぶ文化財として貴重なものとなっている。
 商売繁盛、家内安全、陸海空の交通安全、厄除招福、諸願成就の守護神、更には酒造の大神、病難に苦しむ人々を治癒してくださる医療厚生の大神と仰がれている。
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2007/8/29


高鍋城址 Takanabe-jou-shi 

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 高鍋城址(たかなべじょうし)一帯は舞鶴公園として整備され、二の丸表門が公園の正門にあたる。
 元々は財部城(たからべじょう)と呼ばれ、奈良時代に柏木左衛門尉が創築したと伝えられるが定かではなく、斉衡年間(854~56)に宇佐八幡宮の神官であった土持氏が入り、以後室町末期まで六百年にわたり土持氏の居城であった。
 後に高鍋城と改称されるのは、江戸時代の三代藩主秋月種信の頃で、この時大々的に城の拡張と城下町の整備が完成した。
 高鍋城は標高74mの丘陵に築かれ、丘の中腹に本丸、一段下った平地に二の丸、更に下ったところに三の丸を配した縄張りで、丘陵上には三層の櫓が築かれていた。その姿が羽ばたく鶴に似ていることから別名「舞鶴城」とも呼ばれる。
 二の丸跡の石段を上ると、本丸の正門であった長峰門跡を経て本丸跡にでる。政庁と奥御殿があった箇所に本丸政庁跡の標柱が立ち、本丸跡から更に上ると、見事な石垣が部分的に残っている。
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