NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/8


中町こみせ通り Nakamachi-komise-doori 

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 青森県黒石市にある「中町こみせ通り」には、日本の道百選に選ばれた、風情ある伝統的な建造物が建ち並ぶ通りである。こみせ(小見世)とは、日差しや雨・積雪から人を守るために、家の前に造られた木造の、アーケードのような道路のことをいい、藩政時代(江戸時代1603~1867)から残されているものだという。
 約百メートルにわたって続くこみせは全国的にも類例がなく、平成一七(2005)年に、文化庁の重要伝統的建造物群の指定となったとされる。
 当時から商家・旅篭・呉服屋が軒を連ね、こみせは重要な役割を果たしていたという。中でも江戸中期に建てられた商家「高橋家住宅」は、昭和四八(1973)年に、国の重要文化財となっている。
 二月と九月の第二土・日曜には「黒石こみせまつり」が開催され、高橋家住宅の公開をはじめ、二軒の造り酒屋「菊乃井」「玉垂」の造り酒屋見学・津軽民謡・踊りが催されるという。
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2007/6/26


北海道 赤松並木 Hokkaido Akamatsu-namiki 

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 北海道の赤松並木(あかまつなみき)は、北海道亀田郡七飯町峠下~函館市桔梗町を結ぶ約14kmの並木道である。
 安政四(1857)年、箱館奉行支配組頭・栗本瀬兵衛が、故郷佐渡から取り寄せた赤松の種子を七重の官園で育成し始める。文久二(1862)年、瀬兵衛は育った若木を旧道に移植、明治九(1877)年には更に植樹を増やし、現在の景観になった。
 「北海道の名木美林」に収録され、「日本の名松・100選」「日本の道100選」「新・日本街路樹百景」にそれぞれ選出、歴史国道にも認定されている。
 青森県が天然分布の北限とされながらも、北限を越えた異郷の地、北海道の厳しい自然条件下で育成し、多くの人々に親しまれてきた。
 北海道の赤松並木は、特に初夏から秋にかけて、道路が緑のトンネルとなり、すばらしい景観となる名勝地である。
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2007/6/5


静内二十間道路の桜並木 Shizunai-nijukkendouro-no-sakura-namiki 

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 静内二十間道路(しずないにじゅっけんどうろ)は、北海道日高郡新ひだか町静内田原・御園にあり、その桜並木は日本の道百選、さくら名所百選、新日本街道樹百景、北海道遺産などに選定、認定されている。
 道幅が二十間(約36m)ある桜の並木が直線で7kmにわたって続くことから、この名がついた。
 宮内省の御料牧場を視察する皇族の行啓道路として造成されたのがはじまりとされている。
 大正五(1916)年から3年をかけて近隣の山々の桜が移植され、整備された。
 毎年5月にはこの美しい桜を一目見ようと、全国各地から20万人もの花見客が詰めかける。
 近くには花のトンネル等もあり、多くの観光客で賑わう。
 静内二十間道路の桜並木は、日本屈指と言われる名所である。
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2007/4/25


哲学の道 Tetsugakuno-michi 

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 「哲学の道」は、京都府京都市左京区にある遊歩道である。昭和61年に「日本の道100選」に選ばれた。
 明治に滋賀県大津と京都市を結ぶ水運・上水道の確保のために作られた、「琵琶湖疎水」平行して隣接している。その距離は2キロメートル。桜並木、ゆきやなぎの木が約600本が並んでおり、春には関雪さくらが満開に、秋には紅葉に色づき、四季を通して観光客で賑わう。
 初夏には、日本ではめっきり少なくなったという「ゲンジボタル」が飛び交い、地元の人たちの癒しの場所として、貴重な存在になっている。
 哲学者「西田幾多郎」らが好んだことで「思索の小径」と呼ばれていたが、いつしか「哲学の道」と呼ばれるようになったといわれている。
 
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2007/1/30


若宮大路 Wakamiya-ooji Wakamiya Road

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 若宮大路は、神奈川県鎌倉市小町にある、日本の道100選、及び神奈川の風景20選に選定されている参道である。
 若宮大路は、鎌倉市の由比ヶ浜から鶴岡八幡宮に通じる参道で、養和二(1182)年、源頼朝が妻・政子の安産祈願のため、京都の朱雀大路を参考に造ったものである。現在は神奈川県道21号横浜鎌倉線の一部となっている。
 途中3つの鳥居があり、由比ヶ浜側から一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居と言う。
 二の鳥居から三の鳥居までの間は、段葛(だんかずら)と呼ばれる、盛土によって道の中央を一段高くする技法が使われている。遠近法によって実際の距離より長く見えるよう、鶴岡八幡宮側に道幅を狭くしているのである。
 若宮大路は、鎌倉の中心地として今も使われ続ける、鎌倉の住民に愛される道である。
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歴史と文学の道 Rekishi-to-bungaku-no-michi The Walk of History and Literature

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 岡山県、佐伯城山の麓沿い、三の丸櫓門から養賢寺までの白壁や石畳が続く約700メートルの道。
 国土交通省の「日本の道百選」選定道の一つ。
 佐伯藩の歴史とゆかりの文学者にちなむ道であり、城下町佐伯、国木田独歩館や明治の政治家にして作家、矢野龍渓生家。県有形文化財である旧佐伯藩の城址、三の丸櫓門。美しい白壁土塀が残る佐伯武家屋敷、毛利家菩提寺である養賢寺などが並ぶ。
 中でも、国木田独歩館は文豪、国木田独歩が鶴谷学館に教師として勤めた際に弟と共に下宿した旧坂本邸を改築したもので、貴重な書籍を手に取って楽しむことも出来る。
 御米倉跡に作られた茶室、汲心亭には時折山から鹿が下りてくるといい、豊かな自然の一面も堪能できる。
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2007/1/15


石のモザイク Ishi-no-mozaiku Designs in Stone

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 一言で「石」といってもいろいろだ。大きい石、小さい石、その辺りにころがっている見向きもされない石もあれば、石の魅力に引かれ、身に付けたくなるようなものもある。
 石は文化を表す象徴にもなる。イタリアなどでは、石を積み上げた建物が多い。地震というものがなく、その歴史は石文化の国である。
 日本では城の土台に石積みを使った。また「日本の道百選」などでは、「石畳」でできた道が選出されたりしている。
 人々の足元を守るため地を強固なものにした、先人の知恵である。
 しかし、その目的はそれだけだろうか?よく見るとその形には不規則な辺を組み合わせたものや、規則的な四角形を並べたもの、丸い石などさまざま。実用的というよりは、芸術的な雰囲気さえ感じられる。
 石のアート(モザイク)、こんなところにも日本人の遊び心がよく表れている。
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2007/1/9


うだつの街並み Udatuno-matinami Streets Featuring Udatsu

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 うだつの街並みとは、徳島県の脇町などにある町並みのことである。文化庁の重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けている他、建設省の日本の道100選、都市景観100選にも選ばれている。
 うだつとは、一階の軒の上についた白い漆喰部分で、本来隣家との境に設けた防火壁として造られた物だが、後には装飾的な意味に重きが置かれるようになり、瓦をつけるなど豪華になっていった。
 関西を中心に商家の屋根上には競って立派なうだつがつけられた。「うだつが上がらない」というのはここから生まれた言葉である。
 脇町は1988年、市街地景観条例を制定するなど保存対策を進め、保存地区を決定した。文化庁はこれらの事を受けて、全国で28番目の町並みとして選定した。
 うだつのある街並みは、庶民文化の歴史と落ち着き、郷愁を思い起こさせてくれる場所である。
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