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2007/11/26


日原鍾乳洞 Nippara-shounyuu-dou 

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 日原鍾乳洞(にっぱらしょうにゅうどう)は、東京都奥多摩町を流れる日原川支流である小川谷に位置し、地下水により溶解浸蝕されてできた自然洞窟である。
 総延長は1270m、高低差は134mあり、関東では最大の規模を誇っている。
 年間を通じておよそ11℃ほどの洞内には八つの洞が存在し、そのうち見学できるのはおよそ千二百年前に発見されたといわれる新宮洞と、昭和三八(1963)年に発見された新洞の二つである。
 その神秘的な景観から、かつては山岳信仰のメッカであった洞内には、巨大なカエルを思わせる「ガマ岩」や巨大な天井空間を持つ「天井知らず」など、まさに大自然のみが生み出せる造形が横たわり、訪れる人々を幽玄の世界へと誘ってくれる。
 天井からツララ状に垂れ下がる鍾乳石は3cm伸びるのに二百年、盤上に沈殿し、上に向かって成長する石筍(せきじゅん)は、四百年の歳月を必要とする。
 数十万年に渡る自然という名の芸術家の作品は、今もこつこつと作り続けられている。
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2007/10/12


薬王院有喜寺 Yakuou-in-yuuki-ji Yakuoin Yukiji Temple

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 薬王院有喜寺(やくおういんゆうきじ)は、東京都八王子市高尾町にある真言宗智山派大本山の寺院。本尊は、薬師如来、飯縄権現(いづなごんげん)。関東九十一薬師五番、関東三十六不動八番、多摩八十八ヶ所六八番札所である。
 天平一六(744)年、聖武天皇の勅願により行基が開いたと伝えられ、その際に本尊として薬師如来が安置された事から、薬王院と称し、真言宗智山派の関東三大本山のひとつとされている。
 後に京都の醍醐山の僧・俊源が飯縄大権現を本尊として山岳宗教の基礎を築いてからは、多くの修験者達の修行場となり、現在も高尾山修験道の本拠地となっている。
 江戸時代には高尾講と呼ばれる山岳信仰の組織が結成され、今日も信徒による参拝行事が盛んに行われている。
 薬王院有喜寺は、二五〇〇点余りの古文書も所持する名刹である。
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2007/9/26


役小角 En-no-ozunu En no Ozunu

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 役小角(えんのおづぬ)は、修験道の開祖。山岳信仰による呪力の獲得、自然との一体化による即身成仏を説いた。日本的霊性の源流として、只ならぬ影響力を持つ人物である。
 舒明天皇六(634)年、大和国葛城上郡茅原(現在の奈良県御所市)、葛木山のふもとで誕生。独学で仏像を作り、梵字を書き始める特異な少年だった小角は、一七歳で家を捨て、葛木山での本格的な霊的修行に入る。
 仙人と遊び、仏や神を叱り飛ばし、鬼を従者として使う強者となっていった。神通力が朝廷に知られ、恐れられ、天皇の命令で伊豆大島へ流刑されたりした。
 晩年は、諸国を巡り、数々の霊山高峰を訪れた。現在、日本で霊山とされるほとんどの山が役小角の開山という伝説がある。六八歳の時、天井ヶ岳にて、多くの弟子達に見守られるなか、微笑み続けながら息を引き取った。
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2007/8/27


富士見 赤城神社 Fujimi Akagi-jinja Akagi Shrine in Fujimi

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 富士見の赤城神社は、群馬県勢多郡富士見村にある神社である。祭神は、赤城大明神(赤城山)、大国主命、磐筒男神、磐筒女神経津主神。上野国二宮の論社のひとつ。
 神社の創建される昔から赤城山と湖は神格化され自然崇拝の対象となっており、神社の創建年代は不明である。
 大同元(806)年、赤城神社は元の地より、大沼南の水辺に遷宮された。以後、大洞赤城神社の名で親しまれ、江戸期には幕府に保護され、篤く信仰された。
 各地に分社が勧請されており、赤城山登山口に建つ鳥居は、村人たちにより奉納された物である。
 寛永一九(1642)年、徳川家光の命により建築された社殿は、昭和四五(1970)年、小鳥ヶ島に移し、再建された。
 赤城神社は、古代より山岳信仰にて崇敬される社である。
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2007/6/20


阿闍羅山 Ajara-yama 

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 阿闍羅山(あじゃらやま)は、青森県南津軽郡大鰐町にある標高709mの山である。
 古代から山岳信仰の対象になっており、修験の聖地だった。
 名の由来には諸説あり、不動明王阿遮羅、五輪塔の阿婆羅、僧の阿闍梨から、などと言われている。
 大正一一(1922)年、油川貞策大尉が、地元青年団の働き掛けを受け、中隊を引き連れてコースを整備し阿闍羅山にスキー場が完成した。
 以来、多くの全国大会が開かれ、競技スキー界に確固とした地位を築いた。
 山頂からは、津軽平野、八甲田の峰々、世界遺産の白神山地、津軽の秀峰岩木山等が望め、その眺めはまさに絶景。
 中腹にある祠は、全国唯一のスキー神社として有名である。
 阿闍羅山は、競技スキーのメッカといわれる山である。
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2007/6/15


群馬 榛名山 Gunma Haruna-san Mt. Haruna

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 群馬の榛名山は、群馬県高崎市榛名湖町にそびえる標高1449mの山である。赤城山、妙義山と共に上毛三山に数えられる。
 山頂にはカルデラ湖である榛名湖と中央火口丘の榛名富士があり、15を超える峰々を待つ。火口中央、美しい円錐形をした榛名富士が、その優美な姿を榛名湖に映している。
 今は静かな休止火山だが、五世紀~六世紀にかけて何度も二ツ岳が大噴火を起こした。
 黒井峯遺跡では厚さ2mの火山灰の下から、古墳時代後期の集落がそのまま発掘されている。
 巨人だいだらぼっちが登場する伝承や、弘法大師が井戸を掘ったという民話が残っており、山岳信仰が盛んだった事を伺わせる。
 周辺には伊香保温泉をはじめとする温泉が巡り、榛名神社、水沢観音といった寺社が山中に建つ。
 榛名山は、榛名の人々の象徴として崇敬されている山である。
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2007/5/22


赤沢宿 Akasawa-juku Akasawa-juku Post Town

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 赤沢宿は山梨県南巨摩郡早川町に位置する集落である。
 古来より、日蓮宗総本山の身延山と、山岳信仰の地である七面山へと続く参道の途中に位置する身延往還の宿場町として知られる。
 信者の一団である講の泊まる講中宿であり、明治時代には、当時流行した身延講の参詣者で大いに栄えた。
 現在も各宿には板マネギと言われる各地の講が定宿とした証の木版が残っている。
 四方全て山という環境から、大工、杣人(そまびと)、木挽きなどの職人を多く輩出した。
 平成五(1993)年、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定。
 深い山と渓谷に囲まれた山間の土地であり、石畳や昔ながらの街並みが往時の面影を今に伝えている。
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2007/4/18


六角牛山 Rokko-ushisan Mt. Rokkoshi

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 六角牛山(ろっこうしさん)は岩手県遠野市にある山である。
 遠野盆地の東方に見えるこの山は、早池峰山、石上山と共に遠野三山と呼ばれ、山岳信仰の対象となっている。
 標高は1294メートルで、美しい山容は遠野小富士や六神石山などと呼ばれ、親しまれている。
 山頂近くでは高山植物も楽しめ、標高1100メートル付近の畳石状は、険しい累岩地形から六角牛層と命名されている。
 六角牛山の名には、アイヌ語の「山容のたれ下がる」の意味や、昔、山中に六人の皇族が住んでいた等の説があり、多くの伝説・物語が残る山としても知られている。
 小水内地区に六角牛神社、瀬内地区には六神石神社を祀り、いずれも山頂の六神石神社奥宮につなぐ二本の参道をもうけている。
 六角牛山は、神話と伝説に彩られた、古くから知られた山である。
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