荒砥城 Arato-jou
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荒砥城(あらとじょう)は、長野県千曲市上山田温泉にあった城である。
大永四(1524)年、平安時代からのこの地の豪族・山田氏が築城したと伝わり、山田城、砥沢城とも呼ばれる。
その後、山田氏は滅び、川中島合戦の頃(1553~1564)には、武田軍と上杉軍による激しい争奪戦が繰り広げられた。
天正一〇(1582)年、武田氏が滅亡した後、荒砥城は屋代氏、清野氏、寺尾氏などの七氏による十日在番とされた。
翌年、徳川家康が屋代秀正に更級郡の安堵を密約し、秀正は荒砥城に立て籠もった。しかし上杉景勝配下の軍勢に攻められて落城し、秀正は家康を頼り敗走、以後荒砥城は廃城となった。
現在、城山史跡公園では、中世の史実に基づいて館や見張り台、兵舎、門などが復元され、戦国時代の山城の姿を現代に蘇らせている。また、桜の名所でもある。
荒砥城は、戦乱に翻弄された戦国時代の山城である。
大永四(1524)年、平安時代からのこの地の豪族・山田氏が築城したと伝わり、山田城、砥沢城とも呼ばれる。
その後、山田氏は滅び、川中島合戦の頃(1553~1564)には、武田軍と上杉軍による激しい争奪戦が繰り広げられた。
天正一〇(1582)年、武田氏が滅亡した後、荒砥城は屋代氏、清野氏、寺尾氏などの七氏による十日在番とされた。
翌年、徳川家康が屋代秀正に更級郡の安堵を密約し、秀正は荒砥城に立て籠もった。しかし上杉景勝配下の軍勢に攻められて落城し、秀正は家康を頼り敗走、以後荒砥城は廃城となった。
現在、城山史跡公園では、中世の史実に基づいて館や見張り台、兵舎、門などが復元され、戦国時代の山城の姿を現代に蘇らせている。また、桜の名所でもある。
荒砥城は、戦乱に翻弄された戦国時代の山城である。
- 住所
- 389-0821 長野県千曲市上山田温泉
- 名前
- 荒砥城