紙本著色即非画像 Shihontyakusyoku-sokuhi-gazou
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福岡県指定有形文化財となっている「紙本著色即非画像(しほんちゃくしょくそくひがぞう)」は、北九州市の福聚寺(ふくじゅじ)にあったものである。
即非とは、京都万福寺を開いた明僧・隠元が、明より招き寄せた黄檗(おうばく)僧である。長崎の崇福寺に入り、書に優れた僧として名高く、隠元、木庵と並んで黄檗の三筆「隠・木・即」と呼ばれていた。
寛文三(1663)年、初代小倉藩主・小笠原忠真(おがさわらただざね)に請われ、寛文五(1665)年に福聚寺を開いた。
紙本著色即非画像は、寛文一一(1671)年に描かれた大幅と、寛文八(1668)年につくられた小幅の二幅からなる。
この作品は、画家の喜多元規(きたげんき)の中期の作品である。もっとも有名な黄檗肖像画家で、顔の痘痕(あばた)や髪の毛の一本一本まで詳細に描き込まれ、写実性の高い内容となっている。
即非とは、京都万福寺を開いた明僧・隠元が、明より招き寄せた黄檗(おうばく)僧である。長崎の崇福寺に入り、書に優れた僧として名高く、隠元、木庵と並んで黄檗の三筆「隠・木・即」と呼ばれていた。
寛文三(1663)年、初代小倉藩主・小笠原忠真(おがさわらただざね)に請われ、寛文五(1665)年に福聚寺を開いた。
紙本著色即非画像は、寛文一一(1671)年に描かれた大幅と、寛文八(1668)年につくられた小幅の二幅からなる。
この作品は、画家の喜多元規(きたげんき)の中期の作品である。もっとも有名な黄檗肖像画家で、顔の痘痕(あばた)や髪の毛の一本一本まで詳細に描き込まれ、写実性の高い内容となっている。
- 住所
- 805-0071 福岡市北九州市八幡東区東田2-4-1
- 名前
- 紙本著色即非画像(いのちのたび博物館)
- 電話
- 093-681-1011