NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/10


優佳良織 Yuukara-ori 

Jp

 優佳良織(ゆうからおり)は、北海道の美しい自然、風土をモチーフに手織りで制作されている工芸品で、昭和三五(1960)年に、北海道旭川市で一人の染織作家により生み出された。
 誕生当初はアイヌ語で叙事詩や伝承するという意味を持つユーカラという言葉を用い、「ユーカラ織」と呼ばれていた。
 その後の昭和五五(1980)年に版画家の棟方志功により、「優しく、佳く、良い」という意味で現在の優佳良織に改名された。
 その特徴は色の多彩さにあり、これは四季折々に変化する微妙な自然の色彩に、油絵のような色と色との重なりに似た美を見出したことによるものである。
 素材に羊毛を用い、一つの作品に二百から三百色の色が、「すくい、杉綾、浮き柄、平、綴れ」などのあらゆる織の技術を駆使して織り込まれ、流氷やミズバショウなどの北海道の美しい自然と風土を表現している。
 誕生から四十数年とまだ日は浅いが、逆に伝統に束縛されないことを恩恵として新しく生み出された、独自の織物である。
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2007/11/12


黄楊櫛 Tsuge-gushi Japanese Boxwood Combs

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 黄楊櫛(つげぐし)は、京都府にて今も作られている、髪をすく伝統的な女性の装飾品である。
 櫛の歴史は古く、一番古いものでは縄文時代まで遡る。また、黄楊で作られた櫛は万葉集にも詠まれており、櫛の中でも最上級品として歴史を重ねている。
 京都の黄楊櫛の生産は、平安時代から始まったとされている。
 黄楊の木は、材質が柔らかく地肌を傷つけず、櫛にとって理想的な性質を持っており、一般の櫛だけでなく、西陣織の綴織に使う櫛、京人形の結髪用の櫛など京都ならではの幅広い用途に使われている。
 また、静電気がほとんど起こらないため、枝毛や切れ毛になりにくく、頭皮への刺激も優しく、非常に高いヘアケア効果があるとされている。
 黄楊櫛は、健康的なだけでなく彫や蒔絵も美しい、いつの時代も女性を引き立てる装飾品である。
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2007/9/14


細見華岳(人間国宝) Hosomi Kagaku 

Jp

 大正一一(1922)年兵庫県生まれ。織物師。
 昭和一二(1937)年、十五歳の時に京都西陣の織物師、波多野諦観に師事。綴れなど、各種の織の技術を学ぶ。
 昭和二四(1949)年には独立、綴織工房を立ち上げる。その後は喜多川平朗や森口華弘に指導を受けながら、社団法人日本工芸会に所属し、綴や絽、紗、交織など様々な織技法作品を日本伝統工芸展を中心に発表していく。
 そうした活動の中、昭和三九(1964)年には日本伝統工芸染織展にて日本工芸会会長賞、昭和六十年には日本伝統工芸展で同賞に輝くなど、その匠の技術は高く評価され、平成九(1997)年に綴織の重要無形文化財保持者に認定、人間国宝となった。
 綴織は日本人の持つ指先の感覚が重視される技法だといわれる。
 氏の作品は、永年培われたそうした高度な製織技術の確かさの中に、現代的で気品に満ちた温雅な作風を感じられる逸品として、高く評価されている。
 匠の手により、今日もまた伝統が綴られていく。
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2007/9/5


綴織 Tsuzure-ori Tsuzure-ori (Tapestry)

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 綴織(つづれおり)は、古くから世界中で行われてきた染織技法の一つである。
 歴史的にも芸術的にも価値の高いものとされており、最古のものは紀元前1580年頃にエジプトで織られたコプト織だといわれている。
 日本においては、仏教の伝来と共に伝わったといわれ、それらの遺品は法隆寺や正倉院の裂(きれ)に見ることが出来る。
 やがて、京都の仁和寺や本願寺などで綴織による装飾品などが織り始められ、その後も京都の西陣などでの帯の製織などにより、今に伝わっている。
 一般的には経糸(たていと)の下に実物大の下絵を置き、杼(ひ)に通した緯糸(よこいと)で、経糸を綴りわけながら文様を表していく。この際の経糸の綴りわけは、爪で一本一本をより分けていくという、非常に根気の要る手仕事となっている。
 「爪で織る錦」といわれる由縁であるが、そうした手作業により生み出される逸品は三千年前から人々を魅了して止まない美しさを今に伝えてくれている。
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2007/7/17


綴子大太鼓祭り Tsuzureko-oodaiko-matsuri 

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 綴子(つづれこ)神社の祭典である綴子大太鼓祭りは、主役は神輿ではなく大太鼓である。それも並の大太鼓ではなく、直径が4メートル近くもある巨大なもの。重量は何と3トン半にもなり、ギネスブック世界一の認定を受けている。
 旧北秋田郡綴子村は純農村として開かれた村であったが、耕地面積に比較して水源・水利の便が悪く、常に灌漑用水の不足に悩んでいて、時には水争いなども起こったという。そこで綴子神社では、干ばつ時に大太鼓の響を雷鳴の音に似せて、天上の神に祈りをこめた雨乞いの神事として大太鼓祭りが始められたと言われる。
 700年の歴史を誇るといわれる綴子大太鼓祭りは、毎年7月14日・15日に行なわれ、住民たちが直径4メートル近くもある大太鼓を「ドロンドロン」と打ち鳴らして練り歩くのだが、雷鳴にも似たその響きは16キロ四方に鳴り響くといわれる。その他に境内では獅子踊、奴舞、ヤツハリと呼ばれる棒使いなどが奉納される。
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