NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/11


瀬戸焼 Seto-yaki 

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 瀬戸焼は、愛知県瀬戸市とその周辺で生産される陶磁器の総称で、東日本で非常に広く流通し、瀬戸物という言葉が陶磁器の代名詞になっているほどである。
 平安時代末期以降、中国陶磁器の影響を受け、釉薬(ゆうやく)を施さない「山茶碗」が主流となる中、瀬戸窯では鎌倉時代初期から室町時代中期にかけて、釉薬を器面全体に施した陶器生産が行われていた。この時代の製品には優美な印花文や画花文が描かれたものが多く、「古瀬戸」と呼ばれる。
 その後は椀、皿、鉢といった日用雑器の生産が多くなり、生産拠点も次第に美濃へと移って行った。瀬戸焼は江戸時代に衰退するが、文化年間(1804~1818年)に加藤民吉親子が磁器の製造法を九州で修行して瀬戸に帰り、その技術を伝えたことによって、瀬戸地方特有のやわらかな味わいを持った磁器が完成。陶磁器の主流となって現在まで全国に広く伝わっている。
 瀬戸焼のうち「赤津焼」と「瀬戸染付焼」が、経済産業大臣により伝統的工芸品に指定されている。
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2008/9/9


田原祭り Tahara-matsuri 

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 田原まつりは城下町田原を代表する祭りで、からくり人形を載せた山車(だし)が全国的に知られている。毎年9月中旬の3日間にわたって開催される。江戸時代に始まった熊野神社の祭礼がルーツと伝えられ、後に地元の八幡社・神明社・巴江神社の氏子祭りとあわせて、田原まつりと呼ぶようになった。
 主役となる豪華な屋台仕立ての昼山車(ひるやま)は、八幡社を祀る新町、神明社を祀る本町と萱町が1台ずつ保有する。山車の先頭にはそれぞれ、動きが巧妙で鮮やかな唐子人形、鮎を釣り上げる神功皇后人形、御幣を振りながら厄を払う総代人形が据えられ、山車とともに市の有形民俗文化財に指定されている。
 昼間は3台の昼山車や各町の神輿が街中を練り歩き、夜は着飾った子供や青年が夜山車(よやま)の上で手踊りを披露する。最終日の夜は打ち上げ花火が夜空を彩り、祭りはクライマックスを迎える。
 
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2008/9/8


常滑 春まつり Tokoname Haru-matsuri 

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 常滑(とこなめ)・春まつりは、愛知県常滑市の神明社、常石神社にて毎年4月中旬の土、日曜日に行われている祭りである。知多半島の中でも最多の6輛の山車が曳きまわされる、勇壮な祭りとして知られる。
 明治三八(1905)年、日露戦争の戦勝祝賀行事の凱旋まつりとして旧常滑の6つの字(あざ)から山車が出されたのが始まりと言われている。
 この祭りには、戦争で亡くなった人達への慰霊の意味がこめられていたとの事であるが、現在は単に勇壮な祭りとして知られている。
 山車が通る道に、塩を撒き、天狗や十二単の女の人達などが歩き、それぞれが平安時代から抜け出したような衣装で、ゆっくり進んでいく。
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大智院の節分豆まき式 Daichi-in-no-setsubun-mamemaki-siki 

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 大智院(だいちいん)の節分豆まき式は、愛知県知多市南粕谷本町の大智院にて、毎年2月3日の節分に行われている行事である。
 大智院は、真言宗智山派の寺である。創建は文明二(1470)年で、本尊として聖観世音菩薩、前立馬頭観世音菩薩を祀る。知多西国三十三観音巡礼第18番札所とされている。「めがね弘法」として名高く、毎月第2日曜日には、めがね弘法の縁日が行われている。
 豆まき式では、女性は打掛、男性は陣羽織を着て、「福は内、鬼は外」と本堂一杯に豆をまく。当日は露店も盛大に並び、参詣者には福桝(ふくます)、福豆、開運のお守りなどが授けられる。毎年数千人の参詣者が訪れるという。
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朝倉の梯子獅子 Asakura-no-hashigo-jishi 

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 朝倉の梯子獅子(はしごじし)は、愛知県知多市新知の牟山(むさん)神社にて毎年10月第1日曜日に行われている神事である。県の無形民俗文化財に指定されている。
 牟山神社は、文永三(1266)年に藤原源太正成が創建したと伝えられる古社で、天御中主尊、大己貴尊、少彦名尊を祀る。
 慶長三(1598)年、村に現れたイノシシが農作物を荒らしたので、これを梯子攻めにして退治した。翌年、例祭にて梯子に登る雄獅子の舞を演じたのが始まりとされている。
 梯子獅子では、31段の梯子と高さ約9mの櫓の上で、雄獅子の面をかぶった二人一組の獅子がお囃子に合わせて曲芸的な、はなれ技を演技する。
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阿久比谷虫供養 Agui-dani-musi-kuyou 

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 阿久比(あぐい)谷虫供養は、愛知県知多郡阿久比町にて毎年9月23日の秋分の日に開催されている行事である。県指定の無形民俗文化財とされる。
 虫供養は、農作物を収穫するために殺生した虫の供養のため念仏を授ける行事で、融通念仏の始祖・良人上人(1072~1132)の教えにより、平安時代から始まったとされている。
 現在、阿久比谷では町内13地区の持ち回りで当番を受け持ち、当番になる地区では寒干しや土用干しを行いながら1年の準備をかけ、虫供養当日を迎える。
 会場には7つの番小屋と大道場が建てられ、午後1時頃になると道場から「南無阿弥陀仏」の念仏が聞こえ、百万遍念仏が始まる。訪れる者は、小屋の前で静かに手を合わせ、虫供養と豊作の感謝をする。
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師崎 左義長まつり Morozaki Sagichou-matsuri 

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 師崎(もろざき)の左義長(さぎちょう)まつりは、愛知県知多郡南知多町師崎にて毎年1月第4日曜日に行われている祭りである。
 左義長とは、小正月に行われる火祭りの行事で、どんど、どんど焼きとも言われる。
 室町時代から続くといわれる伝統行事で、和紙でできた大漁祈願旗や干支の亥(いのしし)、鯛の絵文字を描いた、高さ10m、幅3mの大幟を立てる。それらを、「セーノ」の掛け声で、正月飾りやお札などとともに焼き尽くし、大漁祈願や家内安全・無病息災を願う。
 師崎海岸の数ケ所で順次に、身を切るように冷たい最寒気の中で行われる、炎と若者の裸群の乱舞はまさに勇壮そのもの。
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鯛まつり Tai-matsuri 

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 鯛まつりは、愛知県知多郡南知多町豊浜にて毎年7月中下旬の土日に行われている祭りである。祭りでは、長さ10~18mの竹と木の骨格に白木綿を巻いて作った大小の鯛5匹が若者達にかつがれ、街中や海を練り回る。
 起源は江戸時代からで、最初の祭りのだし物はイノシシであった。その時々の思いつきで一年、あるいは数年おきに象、牛、虎、兎などが造られて使用されていたため、「思いつき」と呼ばれていた。
 明治一八(1885)年ころ、祭礼に興を添えようとハツカネズミの張りぼてを造ったのが今の形態のはじめで、その後魚類になり、大正初期に「大鯛」に、昭和初期には胴内ではやしながら海に泳がせるようになった。
 鯛まつりは、そのユニークさで全国的に名をはせ、外国の切手にもなった勇壮な海の祭りである。
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