|
能島城跡は、宮窪港沖合の浮かぶ周囲720mの島である。応永二六(1419)年、村上雅房(むらかみまさふさ)が築城したと言われる。
能島村上水軍の中枢本部として栄えていたが、天正一六(1588)年、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の海賊禁止令により、村上氏が九州へ移り無人島になったとされる。
島全体が海城だったが、現在は船溜り跡の石塁を残すのみとなっているという。
能島の隣に位置する小島鯛崎島との間にある岩礁の上には、大かがりな桟橋防材の跡や、干潮時には丸い柱杭の穴が無数に残っているのも見られる。
春には桜が島全体を埋め尽くすほどに咲き乱れ、桜の名所としても有名である。普段は交通手段がないので、カレイ山展望公園から望むだけだが、桜まつりの2日間だけはシャトル運行の船便が出て賑わうという。
現在は、国指定史跡になっているという。
能島村上水軍の中枢本部として栄えていたが、天正一六(1588)年、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の海賊禁止令により、村上氏が九州へ移り無人島になったとされる。
島全体が海城だったが、現在は船溜り跡の石塁を残すのみとなっているという。
能島の隣に位置する小島鯛崎島との間にある岩礁の上には、大かがりな桟橋防材の跡や、干潮時には丸い柱杭の穴が無数に残っているのも見られる。
春には桜が島全体を埋め尽くすほどに咲き乱れ、桜の名所としても有名である。普段は交通手段がないので、カレイ山展望公園から望むだけだが、桜まつりの2日間だけはシャトル運行の船便が出て賑わうという。
現在は、国指定史跡になっているという。
[+ADDRESS] |