NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/10


五十鈴神社 Isuzu-jinja 

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 宮城県気仙沼市にある、カツオの水揚げで名高い気仙沼港に程近い神明崎の上にあるのが五十鈴神社(いすずじんじゃ)だ。
 その興りは応永年間(1394~1428)にまで遡る。当時、周辺の村毎に一社の皇大神宮を祀ることになり、丸森に建立されたのが始まりとなる。
 その後の慶安年間(1648~1652)に現在の神明崎に遷座され、今に至っている。
 境内には御祭神を祀った産霊(むすび)社と、気仙沼に海苔養殖と製塩技術を導入した、地元産業開発の祖といわれる猪狩新兵衛翁の御霊を祀る猪狩神社があり、どちらも手厚く保護されている。
 また、神社のすぐ下の神明崎先端にあたる場所には浮見堂と呼ばれるお堂があり、お堂の左右に伸びる朱に塗られた欄干がちょうど海の上に浮いているように見えるなど、深い森と青い海が調和し見事な風景を見せてくれる。
 夜になればこの浮見堂もライトアップされ、よりいっそう幻想的な雰囲気をかもし出す。
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2007/8/14


西郷古墳 Saigou-kofun 

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 宮崎市内から、ひむか神話街道を北へ向かう。古事記や日本書紀で多くの舞台となった宮崎は、まさに神話のふるさと。県内のいたるところに文化財、史跡などの歴史遺産が点在している。車は2時間半ほどで美郷町に行き着く。
 美郷町は、周囲を美しい山々に取り囲まれ、小丸川、五十鈴川、耳川といった豊かな清流が流れる。この自然環境に恵まれた町の真ん中に位置する西郷区の外れ、鳥の巣集落からやや離れた、標高400mの地点に西郷古墳(さいごうこふん)がある。
 直径10m、高さ2mの小さな円墳だが、昭和四(1929)年に直刀や鉄剣が出土。さらに昭和五二(1977)年には粘板岩の切石を利用した石棺が発掘された。昭和一〇(1935)年7月2日、県の文化財(名勝)に指定。
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2007/7/26


えんずのわり Enzu-no-wari Enzu-no-Wari

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 えんずのわりは、宮城県東松島市宮戸の月浜地区に古くから伝わる「鳥追い」を行い、豊作や豊漁、家内安全を祈願する小正月の伝統行事であり、受け継がれてきた行事を今に残す貴重な例として、国の重要無形民俗文化財にも指定されている。
 毎年一月十一日から十六日までの七日間、月浜地区の小学二年生から中学二年生までの男子が、同地区内にある五十鈴神社の下にある岩屋にこもり、寝食をともにし、学校へも通い、この間は子供達だけでの生活が岩屋で営まれる。
 そして十四日の夜に全員で月浜地区の全戸をまわり、松の棒で地面を突きながら「えんずのわり、とうりょうば、かすらわって、すおつけて、えんぞがしまさながせ」(意地の悪い鳥を追えば、頭割って塩つけて、蝦夷島さ流せ)と、唱え歩く。
 翌日には、各戸で早起きをし、薪などで火を起こして「ホーイ、ホイ」と鳥を追いながらその煙で腹をあぶり、一年の健康を祈る。
 昔から伝えられてきた伝統は、未来を担う子供達の手で今も大切に語り継がれている。
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2007/2/27


橿原神宮 Kashihara-jinguu Kashihara Jingu Shrine

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 橿原(かしはら)神宮は奈良県橿原市、畝傍山の東南麓に位置する神社である。
 神武天皇が造営し、即位した場所である神武天皇の宮(畝傍橿原宮)を、日本書紀の記述に基づいて明治二十三(1890)年に創建した。
 祭神に神武天皇と皇后、媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)を祀る。
 広大な神域は50万平方メートルにおよび、周囲には神武天皇御陵を含め、多くの陵墓が存在する。
 本殿は京都御所の賢所、神嘉殿を移築したもの。手前の内拝殿は初詣や紀元祭などの祭典に使われる。
 4月3日の神武祭は古代衣装の行列や、能、狂言、古舞國栖奏(くずそう)などが演じられ、多くの人が鑑賞に訪れている。
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桧原神社 Hibara-jinja Hibara Shrine

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 桧原神社は奈良県桜井市、三輪山の麓に位置する神社であり、大神神社の摂社の一つ。
 崇神天皇の皇女、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)が、天照大御神自身とされる八咫鏡を祀った倭の笠縫邑(やまとのかさぬいむら)の地とされ、元伊勢とも称される。
 八咫鏡はその後、伊勢国内、五十鈴宮に移された。大神神社の摂社となった後も天照大御神を祭神としている。
 本殿が無く、大神神社と同じ三ツ鳥居が三輪山の正面に立ち、山自体が御神体である。境内の入り口の鳥居は二本の柱にかけられた縄で造られた古式のもの。
 万葉集を始め、多くの歌に「三輪の檜原」と詠まれた地であり、いにしえの幽玄の空気を今に残す。
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2007/1/23


伊勢神宮内宮 Isejinguu-Naiku Ise Jingu Inner Shrine

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 伊勢神宮内宮とは、三重県伊勢市にある伊勢神宮の皇大神宮の事である。祭神は日本の総氏神である天照大神(あまてらすおおみかみ)。ご神体として、三種の神器の一つ、八咫鏡(やたのかがみ)を所持している。
 伊勢神宮は正式には「神宮」であり、全神社本庁の本宗とされる。神道の神社では別格とされ、格付けはされない。
 皇大神宮の内宮に対して、豊受大神宮を外宮(げくう)と呼ぶ。外宮は豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祭る。広くは、別宮、摂社、末社、所管社を含めた一連の社宮を神宮と総称する。
 幅の広い参道には玉砂利が敷きつめられ、樹齢数百年という杉が回りを囲む。神苑は約93万平方mあり、神路山の麓、五十鈴川の右岸に位置する。
 伝説の時代から続く神宮は、まさに現代に残る神域である。
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2007/1/22


宇治橋 Uji-bashi Uji-bashi Bridge, Ise

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 宇治橋は、三重県伊勢市にある伊勢神宮の皇大神宮(内宮)の参道口にある橋である。別名、御裳濯橋(みもすそばし)。京都の宇治橋とは別である。
 檜で創られており、長さ101.8m、巾8.42mで、五十鈴川にかかっている。
 以前は式年遷宮の年毎に掛け替えていたが、世界大戦よりずれが生じ、以後式年遷宮の4年前毎に掛け替えられている。
 橋の両側の鳥居の高さは7.44mで、外側の鳥居は外宮正殿の棟持柱の古材から、内側は内宮正殿の棟持柱の古材から作られる。宇治橋が架け替えられると外の鳥居は桑名の七里の渡しの鳥居に、内の鳥居は鈴鹿峠の関の追分の鳥居となる。御用材として、合計60年の努めを果たすのである。
 神域と地上を結ぶ橋であり、「俗界と聖界の境にある橋」と言われている。
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おはらい町 Oharai-machi Oharai-Machi Town

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 おはらい町は、三重県伊勢市にある、昔ながらのおみやげ屋などが並ぶのが有名な、伊勢神宮の門前町である。
 神宮内宮宇治橋前から五十鈴川に沿って続く「おはらい町」は、内宮の鳥居前町として発達してきた。
 伊勢特有の切妻・入母屋・妻入り様式の土産物店や銘菓の老舗、旅館が軒を連ね、神宮道場や祭主職舎などの歴史的建造物もある。
 宇治橋から800m続き、町の一角には、江戸時代「おかげ参り」で賑わった事から、新しく伊勢路の町並みを復元した観光名所の「おかげ横丁」がある。
 おはらい町には、昔ながらの食べ物屋やみやげ物屋が並び、ただ歩いているだけでも知らない内に時が過ぎてしまう。
 時間を忘れて楽しめる場所、それがおはらい町である。
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