猪垣 Shishi-gaki
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享保年間,このあたりの農民たちは,毎年イノシシの被害に悩まされており、その害に泣いていた。庄屋郡仙右エ門は考えの末、猪垣構築による猪害防止を農民たちと協議し、享保7年,猪垣工事を起こした。
幅2メートルあまり,高さ1.5メートルの石垣は,長蛇のような尾根を渡り,当時の工事としては至難の業であり,8年の歳月を費やしても工事は完成に至らなかった。
この猪垣には,当時の農民たちの汗と血がにじむ思いが偲ばれ,仙右エ門の無念の血涙が染みついているようだ。
先人たちの遺したミニ万里の長城とも例えられる猪垣の基点をここ奥野原の台地に見ることができ、長崎県は,農政史に価値ある資料として,これを史跡に指定している。
幅2メートルあまり,高さ1.5メートルの石垣は,長蛇のような尾根を渡り,当時の工事としては至難の業であり,8年の歳月を費やしても工事は完成に至らなかった。
この猪垣には,当時の農民たちの汗と血がにじむ思いが偲ばれ,仙右エ門の無念の血涙が染みついているようだ。
先人たちの遺したミニ万里の長城とも例えられる猪垣の基点をここ奥野原の台地に見ることができ、長崎県は,農政史に価値ある資料として,これを史跡に指定している。
- 住所
- 817-1223 長崎県対馬市豊玉町横浦
- 名前
- 猪垣